tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

2015-01-01から1年間の記事一覧

日記151228・東北本線郡山駅・海苔のりべん

日記151228・東北本線郡山駅・海苔のりべん 久々に感激したぜえ。なにに感激したかというと買った駅弁が「昔ながらののり弁」「東北本線・郡山駅の駅弁」「900円の良心的価格」「東京駅のエキナカで買える駅弁」であったことだ。まず写真をご覧あれ。 いまど…

日記151223・映画・海難1890

151223・映画・海難1890 このところ立て続けに映画をみた。どうも一度見ると、後を引くものらしい。DVD を家庭のテレビ機で見るのとはまた違う迫力がある。まわりに同じ映画を見ている他人が居るというのも、非日常の景色だ。昔アメリカでは、金曜日の夜…

日記151218・下から目線

日記151218・下から目線 先日珍しく JR 従来線のグリーン車に乗った。あいにく二階建て部分の上階が空いていなかったので、下階に乗った。初めての経験だったので、とある駅に電車が止まったときにプラットホームの写真を撮ってみた。 グリーン車の二階建…

日記151212・梅わかな丸子の宿のとろろ汁(芭蕉)

日記151212・梅わかな丸子の宿のとろろ汁(芭蕉) 何か月か前に静岡駅構内でとろろ汁を食った。新幹線改札口を出てまっすぐ進んだ飲食店街のなかにある、麦飯でとろろ汁を食わせる老舗(写真)である。 さすが老舗だけあって、店内の装飾も程よい。ゴテゴテ…

日記151206・US Cars 40&50、番外・日本車篇

くるま151206・US Cars 40&50, 番外・日本車篇 番外でこの時期の日本車の状況を見てみよう。いままでと同様、乗用車についてのみ論じる。昭和15(1940)年から同24(1949)年までの1940年代の10年間は、昭和20(1945)年の第二次世界大戦での日本の敗戦をは…

日記151201・US Cars 40&50, DMC-12

くるま151201・US Cars 40&50, DMC-12 1981年に登場したくるまで、標題の US Cars 40&50 からは年代がズレるが、ひとつアメリカ車史上見逃すことのできないくるまについて述べておこう。元GM副社長・ジョン・デロリアンが退社して自分の会社を興して製造・…

日記151125・US Cars 40&50, Tucker

くるま151125・US Cars 40&50, Tucker 1948(昭和23)年の一年限り、それも僅か51台限りで消えていったアメリカ車の話をしよう。1948年型 Tucker だ。この新規参入を果たしたメーカーのことは、著名なハリウッドの映画監督のコッポラと共作者ルーカスがオー…

日記151120・US Cars 40&50, Packard

くるま151120・US Cars 40&50, Packard この時期に消えていったブランドに Packard がある。 愛惜の念を込めて紹介しておこう。Packard はアメリカ車の高級ブランドで、最盛期には Cadillac や Lincoln をもしのぐ高級車と目されていた。この会社は徹頭徹尾 …

日記151115・USCars 40&50, 1959 Models

くるま151115・US Cars 40&50, 1959 Models いよいよ1950年代最後の年にさしかかったわけだが、この年の新車で目を引くのは、巨大な尾ひれがアメリカ車の世界を席巻したことであった。写真のオールズモビルやシボレーでご覧のとおりである。尾ひれもここまで…

日記151110・US Cars 40&50 1958 Models

くるま151110・US Cars 40&50, 1958 Models 1955年型から始まって57年型で終る三年の期間で金型の償却を終えたアメリカ車の、次の新型が始まったのがこの1958年型である。この年はまったくの目を見張る新型、まだ旧型を引きずっているデザイン、経営が傾いて…

日記151105・US Cars 40&50, 1957 Models

くるま151105・US Cars 40&50, 1957 Models 1957年型車は、アメリカ車が大転換を図った1955年型の改良を究極まで推し進めた年のくるまということができよう。これは三年ごとの大掛かりなモデルチェンジ・サイクルを始めたという意味でもあった。写真をご覧の…

日記151101・US Cars 40&50 1956 Models

くるま151101・US Cars 40&50, 1956 Models アメリカ車の1956年型は基本的に1955年型の踏襲である。車体のプレス金型はそのままに、細部のランプやグリルなどをいじって新型としたものだ。そのことは前回と今回の写真を見比べていただければ一目瞭然であろう…

日記151027・US Cars 40&50, 1955 Models

くるま151027・US Cars 40&50, 1955 Models 戦後も10年経った1955(昭和30)年、アメリカのくるまのデザインは大きく変わった。この年から本格的に戦後の自動車のモデルが構築されたと言っていい。読者諸賢がご承知のように、アメリカは毎年秋にモデルチェン…

日記151022・US Cars 40&50, Nash Metropolitan

くるま151022・US Cars 40&50, 1954 Nash Metropolitan 異端児とも称されるべきアメリカ車を一台ご紹介しよう。 1954年型の小型車 Nash Metropolitan である。このくるまはHudson Metropolitan とも呼ばれた。ふたつの名前で呼ばれた理由は経営不振に押され…

日記151016・US Cars 40&50, 1950~54 Models

くるま151016・US Cars 40&50, 1950〜54 Models アメリカ車の1650年から54年といえば、昭和25年から29年にわたる。日本の敗戦は1945(昭和20)年であったから、このころはまだまだ戦後間もないころであった。アメリカとても、勝ったとはいえ三年半越しに日本…

日記151011・US Cars 40&50, 1946 Models

くるま151011・US Cars 40&50, 1949 Models 1949年といえば昭和24年。敗戦は昭和20(1945)年だったから、この年はまだ講和条約も結ばれておらず、日本は米国を始めとする連合軍の占領下にあった。戦後焼け残った陶器の製作窯などを使って「Made in Occupied…

日記151007・US Cars 40&50, 1949 Jeep

くるま151007・US Cars 40&50, 1949 Jeep さるところから、US Cars 40&50 という写真集をいただいた。1940年代といえば、敗戦が1945(昭和20)年、戦後日本に進駐してきた米軍のくるまの全盛時代であった。戦前から戦後すぐのなつかしい写真のオンパレードで…

日記151003・草木もなびく東京

いまは東京へ、東京へと草木もなびいているらしい。 不動産価格を見ていればわかる。地価が上がっているのは東京だけで、あとはどこも惨敗だ。地方都市などは目も当てられない。 戦後すぐから、いや戦前だって、地方から東京に出てくる情景の流行歌は数知れ…

日記150928・柳多留二五〇年

今年は川柳の原点・柳多留が発刊されて二五〇年目の節目の年に当たる。では川柳の開祖・柄井川柳とはどんな人であったのか、私の書いた解説書から引用してみよう。(1)120923 柄井川柳(からい・せんりゅう) 川柳の開祖「柄井川柳」は一七一八(享保三)…

日記150918・メキシコのはちみつ

メキシコのはちみつ、と言っても、この場合はオレンジの花から蜜蜂が集めたはちみつだ。だからこれはメキシコ産・オレンジのはちみつなのである。 はちみつは、元になる花の種類で味がずいぶん違う。色か濃いもの薄いもの、粘度が高いもの低いもの、味があっ…

日記150911・大井町界隈(その5)海晏寺近辺

このあたりの名刹に海晏寺がある。古くは「品川の名刹」ということになっていたから、いまは大井町駅から五分ほどの海晏寺も、昔は品川在であったわけだ。京浜急行の駅でいうと青物横丁と鮫洲の間にあるから、いまのJR品川駅からはずいぶん離れている。海…

日記150905・大井町界隈(その4)仙台味噌

JR大井町駅の東口を出て、大通りをまっすぐ海岸に向って左に進むと、5分ほどで仙台坂上のロータリーに着く。このあたりは昔立会町や林町があったところで、いまはミもフタもない「東大井」という町名に統合されている。明治のご一新までの昔の「荏原郡大井…

日記150829・大井町界隈(その3)戦後のヤミ市

大井町駅前には、戦後すぐの商店街が、そっくりそのまま残っている。JR大井町駅東口を出るとすぐ左手、写真の飲食店街がそれだ。 人がすれ違うのがやっと、という街路は、戦後すぐのヤミ市の区割りそのものだ。歩くと突き出ている屋根のひさしに頭をぶつけ…

日記150816・大井町界隈(その2)チッキ貨物受付所跡

いま大井町駅の線路上に駅ビルが建っている。その南端、隣りの大森駅にもっとも近いところに、昔広いカウンターを備えた、国鉄で送る携帯荷物を受け付ける窓口が置かれていた。もう馴染みのなくなってしまった言葉「チッキ」なるものを覚えておられる方が居…

日記150811・大井町界隈(その1)立派になった駅前

国電、いやJR京浜東北線の大井町駅は、品川の次、電車に乗ってしまえば15分前後の短時間で東京駅に着いてしまうという都心に近い駅である。東海道線は素通りしてしまうが、最近は地下を走る「りんかい線」というのができて、新木場方面への連絡がよくなっ…

日記150801・飛行機組立作業

先日ご報告したSTOL機の組立作業の進捗状況を見せてもらってきた。週一度有志が集って作業をするのだから、時間がかかるのは当然。で、まだ部品をユニットに組み立てる作業が中心であった。 それでもエンジンやタンクや翼が形をなしてきており、飛行機の…

日記150727・遠州森町

遠州(静岡県)の森町(もりまち)は、侠客清水次郎長の子分であったところの、かの森の石松の生地として有名だ。人口は一万八千。この町は妙な町で、けっこう広い町のくせに一級国道が通っていない。それが最近「新東名」が開通して、森町のサービスエリア…

日記150721・メダカを飼いたいな

コンクリート・ジャングルに住んでいると、むしょうに動物を飼いたいと思うときがある。犬や猫は大きいし、排泄物や毛の始末も大変だし、まして死んだらどうしよう、となる。これらの動物を家の中で飼うとなると、私の拒絶反応がそれを許さない。だからこそ…

日記150712・いまさら大阪都構想

余りに惜しい結果だったので、今回は敢えて死んだ子の齢を数えてみる。ついこの間、大阪市で投票があり、橋下市長提案の「大阪都構想」が否決になった。賛成票は70万余票、反対とは1万票差だったというから、全投票者数140万人で差が1万人という稀に見る接戦…

日記150706・関内、伊勢佐木町、横浜駅

「ハマスタ」のあとは関内散策、伊勢佐木町ブラ歩き、横浜駅解散である。 関内では「稲荷寿司」ひとつでビルを建てていまだに立派に営業している「泉平」で夕食用のいなりずしを買った。当然のごとく海苔巻きが入っていた。 伊勢佐木町の入口を少し行った右…