tokyokidの書評・論評・日記

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日記151110・US Cars 40&50 1958 Models

tokyokid2015-11-10

くるま151110・US Cars 40&50, 1958 Models
 1955年型から始まって57年型で終る三年の期間で金型の償却を終えたアメリカ車の、次の新型が始まったのがこの1958年型である。この年はまったくの目を見張る新型、まだ旧型を引きずっているデザイン、経営が傾いて思い切ったデザインの新車を出せないメーカーなど、それぞれの事情を反映していろいろな1958年型が出揃っていて面白い。この年のデザインではふたつの傾向を指摘することができる。ひとつは尾ひれを誇張する傾向が見られること、もうひとつはホワイトリボンタイヤが細くなりつつあったこと、である。ここまで数年、見てくれをよくするタイヤ側面いっぱいのホワイトリボンタイヤがもてはやされてきたが、強度に劣ること(縁石などにこすった場合傷付き易い)、コストが高いこと、省エネの反対で製造に余計なエネルギーを必要とすることなどの欠点から、このころからやがてまた元の黒いタイヤに戻っていった。
特筆すべきは、1958年型として発売されたまったくの新車、フォード・エドセルだ。当時フォード社は、高級車ブランドとしてリンカーン、中級車はマーキュリー、大衆車はフォードと三系列立てであったが、マーキュリーとフォードの中間を埋めるべく一からデザインした新車を用意し、それに創業者ヘンリー・フォードの息子エドセルの名前を冠して売り出した。そして見事に失敗し、わずか三年間で撤退の已むなきに至った悲運のくるまであった。このくるまの3年間のデザインをみてみると、失敗とはこういうことかと誰しも納得するような「どんどん坂道を転げ落ちていく」リデザインの見本を見ることができる。写真を見ていただきたいが、絵葉書用の枠が書かれたものを除く1958,59,60年型の3枚はネットから借用しているが、その出来は見るも無残だ。エドセルの例からも、売上で勝敗が決せられるアメリカ社会の厳しい一面が如実に見てとれる。負ければ存在が許されないのだ。最後の写真4枚がエドセル。
ひとつあまり知られていないアメリカに於ける自動車と電車の競合関係の話をご紹介しよう。日本人観光客の多いロスアンジェルスは、自動車が発達してから成長した大都市で、従って公共の交通機関が発達していない。一例を挙げると、現在でも例えばロスアンジェルス国際空港からディズニーランドに公共の路線バスや電車などだけでいこうとすると、六時間くらいかかるが、くるまなら一時間だ。(実際には空港にミニバンを使ったシャトルバスがくるから、多少割高な運賃を払えば、待ち時間と一時間の運転時間でディズニーランドに連れていってもらえる)。このロスアンジェルス市内の地下には、戦前掘られた地下鉄を通すための空間があちこちに通っていて、それはいまでも残っている。一方地下鉄はとうとう完成しなかった。理由をあるアメリカ人に訊いたところ、ロスアンジェルスでくるまを売るために、地下鉄会社をまるごと自動車の大メーカーが買い取り、計画をつぶしてしまったということだった。戦前の話だそうだが、これはいかにもアメリカらしい競合関係ではあるまいか。ちなみにこのころからメーカー間の競争がシビアになってきて、結局は現在に続く GM, フォード、クライスラーの三社が残ったのは読者諸賢がご存じのとおり。消えたバッジは、パッカード、スチュードベーカー、ナッシュ、ハドソン、カイザー・フレーザー、タッカーなど。これ以後のケースでは DMCデロリアン・モータース)も勘定に入れるべきだろう。
1958年は昭和33年。この年亡くなった有名人は、北原怜子、ジョルジュ・ルオー、徳永直、横山大観、山川均。ジョリオ・キュリー、木村荘八など。木村荘八新聞小説の挿絵は独特のタッチで絶品だったなあ。毎日新聞社・昭和史全記録「冥友録」から。写真はエドセル3枚をネットから借用。