tokyokidの書評・論評・日記

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日記151022・US Cars 40&50, Nash Metropolitan

tokyokid2015-10-22

くるま151022・US Cars 40&50, 1954 Nash Metropolitan
 異端児とも称されるべきアメリカ車を一台ご紹介しよう。
 1954年型の小型車 Nash Metropolitan である。このくるまはHudson Metropolitan とも呼ばれた。ふたつの名前で呼ばれた理由は経営不振に押された Nash と Hudson が合併して American Motors (AMC) という会社になったからだ。この新会社には、 Packard と Studebaker も参加して結局は四社連合となったが、この新会社は間もなく大合併の甲斐もなく、あえなく破産して雲散霧消した。
 アメリカのNash 社が設計して、英国の Austin  (BMC=British Motor Corporation) がアメリカ・カナダ向けに生産したのがこの二人乗りの小型車 Metropolitan なのである。1953年から61年まで生産・販売され、結局両国で合計10万台近くを売ったくるまだ。エンジンは英国 Austin の最初は 1200cc、あとのモデルは 1500cc のエンジンを搭載した。重量はアメリカ車ならずとも“たったの”810kg、フロントエンジン・リヤードライブ(FR)でホイールベースは2159mmと短く、かのフォルクスワーゲン・ビートルより短かった。ちなみに当時の英国の Austin は日本の日産と提携していて、日産はオースチンA50 というくるまを作っていた。このくるまは同じ Austin の1500cc エンジンを積んでいて、最初はノックダウン、後では国産に変わった。A50は当時の日本では高級車だったのであり、のちの日産セドリックに引き継がれる。その Austin がアメリカ向けにつくったのが、この Metropolitan だったのである。
 ご覧の通りこのくるまのデザインは可愛い。最初 Nash は当時アメリカで普通になりつつあった一家で二台目の需要を狙って、奥さま族の買物や出迎え用途を想定して設計したが、晩年には自社の Rambler という4,5人乗りの大衆向け廉価車をわずか100ドルほどの差額で出すに及んで、自社のくるまとの競争に敗れ去った。このくるまは、デザインがすべてである。全体に当時の Nashデザインを色濃く残しているかわいいデザインだ。最後の写真のように、オーナメントまでがかわいい。日本では絶対に出てこないデザインだ。
 1954年は昭和29年、日本ではまだまだ生活にゆとりなぞなかった。このちょっと前から、戦中の配給制のころからずっと閉店を余儀なくされていた町の蕎麦屋がようやく再開されて(食堂が再開されたのはまだあとの話)、庶民がやっと外食できるようになった。それまでは自分で弁当を持参しなければ、外で食事はできなかったのである。当時の旅館は、客が米を持ち込まないと「御飯」を食べさせてもらえなかった。これは市中であると地方や温泉地であるとを問わず同じであった。朝日新聞社週刊朝日編)が出した「値段の風俗史」によると、当時蕎麦屋の「もり・かけ」は25〜30円であった。記憶としてはほとんど同時に再開された「ラーメン」が蕎麦のもり・かけよりは10円高い40円だったのを覚えている。ついでながら公衆浴場の入浴料は15円であった。戦前の昭和七(1932)年でも七銭(円ではない)、戦中の昭和十八(1943)年でも八銭であったそうだから、戦後のインフレがいかに凄かったかがわかる。この頃の中学・高校卒業生の初任給(月給)が6,000円程度の時代であった。写真はネットから借用。