tokyokidの書評・論評・日記

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日記150829・大井町界隈(その3)戦後のヤミ市

tokyokid2015-08-29

 大井町駅前には、戦後すぐの商店街が、そっくりそのまま残っている。JR大井町駅東口を出るとすぐ左手、写真の飲食店街がそれだ。
 人がすれ違うのがやっと、という街路は、戦後すぐのヤミ市の区割りそのものだ。歩くと突き出ている屋根のひさしに頭をぶつける。飲食店街だから、台所ゴミが山と出る。それを通り道に出しておく。そのゴミの饐えたにおいが強烈に鼻を突く。でもいまはこんな街路にも、昔は古本屋などがあって少しは文化の匂いがしたものだった。
 そのなかに、戦後ヤミ市時代からいまでも続く洋食屋やラーメン店がある。もう70年近くも続いているのだ。こんなせまいところにどうやって掘ったのかと思わせるような、せまい急な階段を下りていくと地下に風俗店があったりする。右側にある表のバス通りに面した店、これは洋菓子店から洋装店から飲食店からさまざまな店が並んでいるわけだが、それらの表通りの店の裏口に当る通りでもある。
 これが駅の東口に隣接している入口からまっすぐ、少し行くとある「ゼームス坂通り」をはさむと、飲食店街の名前も変って、なおも連綿と続く。写真の「ゼームス坂通り」の標識に従って坂を下り切ったところを左に折れ、つまり線路側に寄ってすこし行った右側にかつて「南品川ゼームス坂病院」があった。ここは高村光太郎の妻・智恵子が入院していたとき「東京には空が無い」といったと、光太郎がその著書に記してあるところである。この病院はたしか戦後まであったが、いまはない。ここから見ると、南側はある程度の高さがある崖になっており、北側が目黒川に向って下がり加減の住宅地であるから、智恵子が見たのは公害に汚れた東京の空という意味ではなく、建物に遮られた東京の空であったのかも知れない。あと30年経って戦後100年を迎えても、大井町ヤミ市あとの飲食店街はこのままなくなっていないだろう。そんな気がする。