tokyokidの書評・論評・日記

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日記151223・映画・海難1890

tokyokid2015-12-23

151223・映画・海難1890
 このところ立て続けに映画をみた。どうも一度見ると、後を引くものらしい。DVD を家庭のテレビ機で見るのとはまた違う迫力がある。まわりに同じ映画を見ている他人が居るというのも、非日常の景色だ。昔アメリカでは、金曜日の夜は家族揃って町の映画館に繰り出したものだった。いまでは、あちらでも映画館は閑古鳥が鳴いているが、日本でも同じことだ。
 私どもが住んでいる町には映画館がない。映画を見るためには、東西いずれかの中都市まで行かねばならない。JRの電車で20分、切符代が双方片道410円のところだ。東は隣の県で、西は自分の住む県だが、私どもは映画館が駅に隣接している西に行く。歩かなくて済むからだ。昔映画館は街の中にあったものだが、いまは自動車で行くのが前提の、盛り場からは離れたショッピング・センターの中にあることが多くなった。それだけに運転免許証を返上したわが世代にとっては、なかなか行きにくいのである。これも昔、というのは前回東京オリンピックが開かれた頃までのことだが、その頃とは違う「困った」現象なのだ。考えてみれば、戦後の大変動というのは、過去の日本の歴史に数回みられたのと同じいわば500年にいちどの日本の大変革期だったのではないか。だからこの程度のことは仕方なかろう。
 もうひとつ。映画代のことだ。今回私たちは毎回一人1100円の入場料を払った。シニアでも、夫婦連れでも同じ価格設定であるところを見ると、この値段で若い人たちも取り込みたいという願望がひしひしと伝わる。一見安いようだが、アメリカではシニアなら3ドル。ドル120円換算で400円にもならない。三倍以上、というこの映画入場料をみても、日本の物価は高い。ひどく高い。政府も国民も、物価の高いのには慣れっこになって、文句を言わなくなって久しい。ほかの国なら暴動が起ってもおかしくはないのに。
 閑話休題。話がそれた。で、映画「海難1890」はどうだったかというと、なかなか楽しめる映画だった。ご存じ1890(明治23)年9月、トルコの軍艦・エルトゥールル号が折からの台風に遭って和歌山・串本で沈没した事件を題材にしたものだ。この事件で(役人ではなくむしろ貧しい民間人であるところの)当時の串本の人々が身を挺して海岸に打ち上げられたトルコ水兵の救難に当たった。トルコでは今に至るまで自国からは遠い日本で起こったこのことが国民の胸に刻み込まれているゆえに、トルコ国民を挙げて親日国だという。この映画では同時に、1985年3月、イラン・イラク戦争でイランの首都テヘランに取り残された215名の日本人を、トルコ政府が救援機を飛ばしてくれて最後の瞬間にトルコに運んだいわば「お返し」の美挙も描き込まれていた。この映画をみてやり切れない気持ちになった理由は、準戦時に自国の国民(それも215名も!)を助けられなかった「日本政府の情なさ」だ。理由はなんであれ、自国民を他国に助けてもらって涼しい顔をしていられる政府というのは、信じていいものかどうか。いまの政府がやっていることを見て、背筋が寒くなった。日本政府は、なんで親日の感が強い台湾やインドやトルコを優遇して、これらの国との協力関係をもっともっと強いものにしないのか、まことに不思議だ。中韓露などは放っておけばいいのだ。彼らが日本人のために飛行機を飛ばしてくれたことが一度でもあったのか。写真は映画のパンフレット表面。