tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記181111・筍、鶏卵、鳥肉

日記181111・筍、鶏卵、鳥肉

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いったい今の人は「親子丼」の意味がわかっているのだろうか。最近そんな疑問が湧いてきた。

三題噺めくが、この間テレビのバラエティー番組を見ていて仰天した。その番組に呼ばれるゲストは、東大ほか官学在学中の俊優大学生と、私大生の場合もいわゆる早慶上理の難関校の学生ばかりなのだ。ああそれなのに。

 司会者が「筍は大きくなったら何になるのでしょう」と質問しても答えられる者がいない。みな知らないのだ。筍は竹林で採ることもご存じないらしい。もちろん「雨後筍」なんて言葉もご存じなかろう。筍は春雨が降るとニョキニョキと地面から生えてくるものなのだ。次に「鶏卵はなんの卵でしょう」というと「鳥」と答える。それでは「何の鳥でしょう」と問うと答えられない。みな鶏卵といえば鶏の卵だということを知らないのだ。同じく「鳥肉はなんの鳥の肉でしょう」という問いには「・・・・・・・」。

 これが私には一問も解けないであろう難関校の入学試験を突破してきたいまの若い日本人の常識レベルらしいが、信じられないことだ。「世の中変った。紅茶にクリープ」と森永乳業の CM が一世を風靡したのはだいぶ前のことだが、それにしても世の中変った。

 でもこうした秀才連中がこれから国の舵取りを任されるとしたら、喜んでいいのか、悲しむべきなのか。これはもうアハハと笑うしかないのであろうか。□

(写真はネットから借用)

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日記181106・はるばる来たぜ函館へ(続)

日記181106・はるばる来たぜ函館へ(続)

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 函館に来たのがそんなに嬉しいか、なぞと言ってくださるな。変り易いのは女心に秋の空。私どもが滞在していたときにはこんなに天気が良かったのだが、帰京したら途端に函館は寒くなって冷たい雨が降った。私どもは今年の秋の一番いい時期に函館に居たようだ。追加の写真数枚、ご覧下され。□

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日記181031・はるばる来たぜ函館へ

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日記181031・はるばる来たぜ函館へ

 それが実は「はるばる来た」という気がしないのである。先日新幹線で函館へ行ってきた。ことの起りはアメリカからレールパスを持った友人が拙宅に泊りにきたことからだ。せっかく日本全国を JR で回ることができるパスを持っているのだから、この際当方も参加して日帰りで函館へ行ってこようということになった。実際には日帰りから一泊二日に修正して、みなで秋の函館に行ってきた。

 東京から新幹線に乗ると、最速の「はやぶさ」が約4時間で新函館北斗駅に着く。そこから従来線に乗り換えて約20分で昔懐かしい港に面した函館駅に着く。いま大半の人は、東京から函館に行くといったら羽田から函館空港へ飛行機で、ということになるだろう。でも長距離の鉄道の旅も悪くない。ましてそのアメリカからの友人も当方も、新青森駅から先に行ったことがない。それならいっそ新幹線で、と話がまとまった。

 秋の函館は美しかった。着いた日は駅前の寿司屋で新鮮この上ないネタの鮨をたらふく食った。お定まりの函館山五稜郭にも行った。翌朝函館朝市イカそうめん丼を食って、母の従兄弟が大正の初期、直接開発に携わったという「夕張メロン」を一切れデザート代わりに食った。もうあれから百年以上にもなるのだと、ふと感慨を催した。帰りの車中では念願の幻の「鰊弁当」を食って、満足の旅は終った。弁当売場の売子が「いまは北海道で消費するだけの鰊も捕れなくなって、カナダなどから輸入している」という話を悲しく聞いた。なるほど「鰊」を「にしん」と正しく読める人が少なくなっているのも、そのせいかも知れない。□

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日記181021・ゆとりーとライン

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日記181021・ゆとりーとライン

 名古屋に「ゆとりーとライン」と称する軌道型定期路線バスがある。写真でおわかりのとおり、街の道路上にバス専用軌道を作って、その上に路線バスを走らせる。鉄道よりも簡便でかつ車体も軽いから、建設費もメンテンナンス費も鉄道にくらべれば格安だろう。車輪もバスのことでゴムだから騒音もはっきりと小さい。しかも専用軌道の下の市中街路の混雑を促進しない。ただしこのバスは市中の混み合うところを抜けると下の一般街路に降りてそのまま先の目的地に向かって走る。軌道上では昔のトロリーバスよろしく電気で走るが、下に降りてからは蓄電池で走るようである。軌道上を走る間は高いところから眺めもよい。でも軌道建設費がかかるだけバス料金は高い。わたしは勝手にこのバスを「空中バス」と呼んでいる。こちらのほうがはるかにわかりやすい。

 だいたい名古屋人は造語の名人で、以前新しく後からできた中部国際空港の愛称を新しい造語の「セントレア空港」にしようとしたことがある。あまつさえその付近の自治体の名前も「セントレア市」にしようとしたらしい。つまり「セント」は英語のセントラルつまり中部の略称で、「レア」はエアポート、つまり中部と空港の英語の単語を一つにまとめて短くした、とのことだったらしい。だが独立して「レア」といえば英語で「なま、または稀なもの」を指すからもとの「空港」という意味にはならない。さすがにあれやこれやがあってこの造語は公式には使われないで済んだ。もしこれが実現していたら「いったい何語だ」と好奇の目にさらされていたことだろう。

 同様に「ゆとりーとライン」もこの手の発送から得た造語のようだ。すなわち日本語の「ゆとり」と英語の「ストリート」、それに路線を意味する「ライン」をくっつけた造語だろうが、ゆとりのあるストリートを走るラインはバスに限ったことではあるまいし、ちとおかしい。それでもこの線は目下沿線に住む人も増えて増発に次ぐ増発、それで盛業中なのである。

もうひとつ、名古屋には「リニモ」と称する珍しいリニアモーターカーが藤が丘・八草間の約9キロを商業運転している。文尾最後の写真は、HSST方式と呼ばれるリニア鉄道路線だ。路線は短いがそれでも黒字らしい。名古屋は人も知る産業都市だから、技術的基盤は充分に持っている。それに持前の「やってやろう精神」があるから、この街には全国でも珍しいふたつの異なる新式の商業路線が走っていて、相当の成果を挙げているのである。ついでながらこのHSST方式というのは、かつて倒産前(いまは稲盛和夫氏によって再建されたが)の日本航空が、成田と羽田両空港を高速鉄道で結ぼうとして開発したリニア鉄道だ。寡聞にして現在JR東海が推進している品川・名古屋間のリニア新幹線以前に既に日本でリニア方式による鉄道が商業運転したとは知らなかった。□

(写真はいずれもネットから借用。最後の一枚は愛知高速交通リニアモーターカー

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日記181017・【臨時号】 八十路過ぎても

f:id:tokyokid:20181016140425j:plain八十過ぎても

日記181017・【臨時号】 八十路過ぎても

  本日からブログの方式が変りました。画面も変りましたから、読者諸賢におかれましても容易に認識なさったことと思います。ですが読者諸賢の操作はいままで通りです。読者諸賢の設定はなにも変える必要がありません。ご安心ください。ではいままでと同様によろしくお願いします。

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 人は八十路過ぎても、小学校低学年の学友の声を電話だけで識別できるものだろうか。結論から言うと、それが出来るのである。

 昭和十七年、小学校(当時は国民学校)に上ったとき、私は都内に住んでいて、ときどき近くに住む日本特有の食品の製造卸の若旦那に当る人と連れ立って電車通学をしていたものだ。小学校一年と二年のときのことであった。

 私どもにとって敗戦は小学校四年の夏休みのときのことであったから、このときは正に戦中で、私どもが昭和17年4月に小学校に通学を始めてまだひと月経たないうちに有名なドゥーリットルの東京初空襲にも見舞われた、そんな時期のことであった。私たちの通学路は当時の省線に乗って大井町駅からひと駅品川駅まで行き、品川駅前から当時の市電(都電になったのは昭和18年のこと)の7番・四谷見附行に乗り、途中の天現寺で降りる、というものであった。その往復を若旦那のY君と一緒に通ったのであった。

 その後戦火は二人の生活を引き裂き、Y君はつつがなく家業を継いで現在に至るのだが、私のほうはさんざんで、父親を召集で取られて戦死されて、疎開先を転々としたから小学校を8回も転校する破目になって、あとはバラバラになった。

 それが十年も前、昔の私の家の近所の中学同級生とあのあたりを散策した際、Y君の店にも立ち寄って挨拶をした。七十年ぶりのことであった。先週ふと思いついてY君の店に電話して、製品を注文したら宅急便で自宅宛てに送ってくれるかどうか訊いてみた。小さい時の味は忘れ難いのである。送ってくれる、というので当方の住所氏名などを伝えた。先方は若々しい声だったのでてっきり店の社員と思っていたら、要件が終って相手は「あなたは・・・君ではありませんか?」と問う。そうだと答えると「私はそうではないかと思っていましたよ」と八十ン歳で現役の社長を務めているY君の元気な若い声であった。先方は私の電話を偶然直接受けてくれて、それだけで、小学生のとき一緒に登校した相手だと一瞬で識別してくれたのであった。

 この日はそれが嬉しくて、一日中愉快に過ごした。人生も、長生きも、悪くないものだ。□

(イラストはネットから借用)

 

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五風十雨 すっきりうまい旧伊達藩江戸下屋敷製造の仙台味噌

 

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小学校入学第一日目 正面

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小学校入学第一日目 側面

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小学生でも小泉信三塾長の身分証明書をもらいました。

日記181011・カステラ一番

tokyokid2018-10-11

日記181011・カステラ一番
 敗戦から73年が経った。その戦後五年ほど経ったころだろうか。街頭にテレビ受像機が据え付けられて、人がたかって見るようになった。その頃はもちろんモノクロである。同時に民放も始まって、それまで国営の NHK 一辺倒だった放送が、当時はまだ珍しかった CM が入るようになって、物珍らしさに人目を引いた。
 それで「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂・・・・・・・」とヘンなぬいぐるみを使って、テレビだから絵に動きを入れて、しかしいまでも懐かしいぬいぐるみの熊だか猫だかの踊るコマーシャルで、カステラの文明堂がでてきた。ま、カステラの老舗といえば福砂屋か文明堂だろうが、この CM で文明堂は一挙に知名度を上げたと思う。
 そのころのカステラは箱に入れた一本の巨大なカステラとして売っていた。それがやがて何切れかに切ったものが一本分箱に入るようになり、それがまた一切れづつセロハンで包装されるようになった。いまは一切れづつが主流で、一本まるごとは売っているのかいないのか。
 わたしゃ強欲だから、カステラも自分の欲しいだけの厚さに自分で切ったものを食いたい。1センチくらいの厚さに向こう側が見えるくらいに薄く切ったカステラなんかをチマチマ・ケチケチ口に運びたいわけではない。ヒルメシの代りに一本のカステラをドーンと三分の一か四分の一くらいに切って、上に甘目ではない系のバニラアイスクリームをカップ一杯分載せて、ウィスキーをたらした熱い紅茶で食うのが好きなのだが。時代は変った。□
(写真はネットから借用)

日記181001・PDCA

tokyokid2018-10-01

日記181001・PDCA
 前回に引続きローマ字の四字熟語で恐縮だがご勘弁を願いたい。近頃は若い者が「夢、夢」と騒ぐ。夢を持っていない者はまるで人生の敗残者と言わんばかりだ。果してそうだろうか。
★夢なんて寝て見るものさ幻さ(謝)
という川柳もある。そう。夢なんか現実にならない前のタダの幻影なのだ。ちなみにニンベンに夢という字を書いてごらん。「儚い、はかない」ということだ。人が夢を見ることははかないことなのだ。夢は単なる夢であって現実ではない。現実にならないものに向ってヤミクモに努力するのは単なるナンセンスなのだ。
 それでは、自分が実現したい未来を現実のものにするにはどうしたらよいか。それがいまの品質管理技法が教える「PDCA」なのである。これは有名な品質管理サイクルというもので、製品を作るに当って生産ロット全部の製品に一定の品質レベルを与えるための技法なのである。余談ながら「品質管理」とは必ずしも「良い製品を作ること」ではなく、前述の如く「生産ロットすべての製品に狙った一定の品質を作り込むこと」なのである。このあたり一般には誤解があるので特に注記しておく。
 そして「PDCA」とは「P・プランつまり計画」「D・ドゥつまり実行」「C・チェックつまり事後の確認・検討」「A・アクションつまり必要な対策の実施」の四つの段階を示す。これを無限に繰り返すことによって、その工場で作るその製品の品質を一定レベル内に収めることができる。
 この技法は工場の生産部門のみならず、販売だろうと業務だろうと、はたまた個人の私的目的の達成手段としても使える。夢なんかただの幻だが、人はPDCAを実行することによって、自分の生活の未来図を描き、それに向って効率的に前進する手段を得ることができるのである。どうだ。これでも君は夢を追い続けるか。□
(写真はすべてネットから借用)