tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記190911・食器は食欲を左右する

日記190911・食器は食欲を左右する

f:id:tokyokid:20190911155058j:plain

 食器は食欲を左右する。特に日本の料理はそうだ。いかにうまいものでも、いい加減な食器に盛って食卓に出されたのでは興ざめだ。最近の日本人は、そのことを忘れかけているのではないか。

 蕎麦はせいろで出すのが正統だ。うなぎは重箱かどんぶり、これは出される食器で格が違う。寿司は桶か重箱だが、これは握りかちらしかの種類による。握りは桶と言ったが、これは出前の場合であって、店で客に供する場合には大皿がふつうだろう。桶にくらべれば陶器は手入れが格別に簡単だから、これは許せる。

 食通の池波正太郎は「蕎麦を民芸風の大皿に盛って出されると食欲を失う」と言っている。蕎麦はやはりせいろに盛りつけて出すべきものだ。もちろんこれはざるそばを含むもりそばに限ってのこと。

 ならば蕎麦屋でもすなる天丼、かつ丼、親子丼のたぐいはどうか。丼というからにはどんぶりで出すのが当り前と思うが、最近はこれを皿で出す店が増えた。女子供ではあるまいし、大の男が丼物を皿で食えるか。もっとも定食として、飯、汁、天ぶらなら天ぶら、それに香の物など、分けて供するものは別だ。ここでは丼物を皿に盛って出すことを論じている。

 日本人は自分たちの文化を大切にしない。日本料理から食器つまり皿小鉢に至るまでの食べ物を入れる容器をいい加減にしたら、日本料理の味がすたる。きちんと伝統を守ってもらいたい。□

(写真はネットから借用)

f:id:tokyokid:20190911155131j:plain

f:id:tokyokid:20190911155212j:plain

f:id:tokyokid:20190911155312j:plain

f:id:tokyokid:20190911155346j:plain

f:id:tokyokid:20190911155717j:plain

 

日記190901・9月1日

日記190901・9月1日

f:id:tokyokid:20190901174649j:plain

 日本は地震が多い。いままた南海トラフの大地震が取沙汰されている。東京の直下型地震もいつ起こっても不思議はないといわれ始めてから久しい。地震が起こるのはやむを得ないとして、その際少しでも被害を少なくしようと設けられたのが防災の日、つまり関東大震災記念日の9月1日ではなかったか。

 大正12(1923)年9月1に当時(満)13歳だった私の母親は、お使いの途中、いまの東京・高田馬場駅付近を歩いていたが、そのとき大地震が起って、立っていられなくてそばの大樹につかまっていたそうだ。目の前で道路が裂けて溝ができ、そのあと家に帰るのに越えるに越えられないところがあり、大変だったと言っていた。

 学者でも気象庁でも、地震の予報はまだ不完全であることを認めている。ならばわれわれ庶民としては、自分たちで出来得る限りの対策を立てておき、いざとなったときに実行するのみだ。

 震災は忘れた頃にやってくる。私の場合は、近いうちに渡らねばならぬ三途の川を渡ってから大地震に来てもらいたいものだが、さてそううまくいくものかどうか。じつは今外国人観光客で賑わっている東京の街は1923年の関東大震災からたった22年後の昭和20(1945)年3月10日に、米軍の B29 325機による東京大空襲があった。この日は強風で、わずか142分間の出来事であったという。この大空襲で死者は推定10万人、住宅を失った人は約100万人、当時東京の全35区のうち26区が甚大な被害を蒙ったという。(毎日新聞社刊・昭和史全記録から)

 つまり22年間に2度の大被害ということは、つい先ごろ終った平成30年間の短い期間に2度も壊滅的な被害を東京は蒙ったことになる。元に戻って、関東大震災を記録した信頼できる本に「関東大震災吉村昭著がある。このブログのサイト内検索欄に「吉村昭」と入れて検索すれば、その書評がでてくる。また東京大空襲については早乙女勝元氏に優れた著作がいくつもあり、ここでは「東京大空襲岩波新書」のみをご紹介しておく。これらの本のご一読をぜひおすすめしたい。□ (写真はネットから借用した関東大震災関連のもの)

f:id:tokyokid:20190901174728j:plain

f:id:tokyokid:20190901174752j:plain

f:id:tokyokid:20190901175016j:plain

 

日記190821・そうめんとひやむぎ

日記190821・そうめんとひやむぎ

f:id:tokyokid:20190821211921p:plain

 今年の夏も世話になった素麺と冷や麦について。

 日本を語るのに四季は欠かせないように、季節にはそれぞれの風物詩がある。いや、この場合は「食べ物詩」というべきか。

 敗戦までの日本では、ごく一部を除いて、野菜を温室栽培するなどということはなかった。したがって八百屋だろうと魚屋だろうと、その季節の旬の野菜なり魚なりだけを売るのが普通であった。もちろん町の飲食店でも、季節のメニューを持っていて、その中に蕎麦屋なら、夏なら定番の冷やした蕎麦やうどんなどのほかに、素麺や冷麦を用意していたものであった。従って当時の日本には、いつであっても、季節感あふれる環境が整っていた。冬のさなかでも、茄子やキュウリやトマトがいつでも食えるいまとは、季節感からしてまったくちがっていたのである。

 私は化石人間だから、夏にはそうめんやひやむぎを食いたい。有難いことにうちのヨメは手数を惜しまず気軽に作ってくれる。

 写真で恐縮だが、読者諸賢も夏の冷感を味わってください。それにしても、そうめんとひやむぎの違いはなにかな? どちらも冷たい麺であることだけが、知っていることのすべてなんだが。□

(写真はネットから借用)

f:id:tokyokid:20190821211945j:plain

f:id:tokyokid:20190821212010j:plain

f:id:tokyokid:20190821212042j:plain

f:id:tokyokid:20190821212122j:plain

 

日記190811・緑十字機決死の飛行

日記190811・緑十字機決死の飛行

f:id:tokyokid:20190811002209j:plain


 たいていの日本人は、敗戦記念日は八月十五日と思っている。例の玉音放送がこの日、正確には昭和二十(一九四五)年八月十五日に放送されたからだ。でも同じ質問を外国人にぶつけると、同年九月二日という答が返ってくる。この日東京湾に停泊したアメリカ海軍の戦艦ミズーリ号艦上で正式の降伏文書調印式が行われたからである。つまり外国人の常識としては、この日が正式に日本が連合国側に降伏した日なのであり、つまりこの日が正式に戦争が終結した日、となるわけだ。だから
92日までは、当時のソ連軍は戦闘を停止せず、遮二無二攻撃を続行して、日本から樺太、千島列島、北方四島などを奪い、占領してしまった。

 この間、815日から92日までの間、敗戦国日本と、戦勝国の連合軍との間で降伏文書の作成など、事務レベルの接触があったはずだが、その経緯が必ずしも明らかになっていなかった。

 事実はこの間日本の降伏軍使がマニラのマッカーサー司令部に呼び出されて詳細を詰めていたわけだが、その「詳細」が軍使の往復を含めて必ずしも明らかにされておらず、隔靴掻痒の感があった。実は降伏軍使を載せた旧軍の陸式一攻機が、帰途静岡県磐田市の鮫嶋海岸に不時着した事実を掘り起こした本が最近になって静岡新聞社から出版された。題名は表題のとおりで、岡部英一著。この本はウィキペディアによると「終戦直後、降伏条件についての会議を終えた軍使を乗せた緑十字機が、復路の途中で、予期せぬ不時着を遂げた。緑十字機は何故不時着したのか。マッカーサーの軍使派遣命令から任務完遂までの7日間を記す」とあり、降伏文書作成のために日本側の降伏軍使がどのような行動を取ったかがわかる。

 この本は令和の現在、ポッカリと穴が空いていた昭和のヒトコマを埋めた労作といえる。読者諸賢に一読をお薦めする。□

(写真はネットから借用)

f:id:tokyokid:20190811002239j:plain

 

日記190801・日本人の幼児化

日記190801・日本人の幼児化

f:id:tokyokid:20190801134059j:plain

 いま若い人の間で、最大に受け入れられる価値観は「可愛い」ということだそうだ。 道理で衣食住からアナウンサーの早口の高音から、ジイチャンバアチャンの孫のあやし方から、なにからなにまで幼児アクセント。フランス人は、自国語でさえ「発音優先の優雅な国語」をめざして何世代にもわたって努力して、その結果に自信を持っている国民だ。日本人もいい加減子供じみた趣向を排して、成人の日本人が受け入れられるデザインなり発音なりを毎日の生活に取り入れたらどうだろう。日本の過去の技術品には、世界に誇るに足る作品がいくらでもある。日本人の趣味をもっと洗練できないものか。

 こんど JR 九州でミッキーマウス新幹線一編成を走らせることになった。この会社は自社の電車にすぐれたデザインを取り入れていい評判を作り上げてきただけに、安易なデザインの幼児化は会社のイメージを損なうばかりだ。いまの日本人にはそんなこともわからなくなってしまったのだろう。残念だ。

 ほかに日本航空全日空も同じような愚行を推進している。日本人の幼児化。心ある外国人からはバカにされるばかりだ。

 写真を見てごらん。いい大人が口を開けてミッキーマウスピカチュウを喜んでいる。見られた図ではないな。□

(写真はネットから借用)

f:id:tokyokid:20190801134125j:plain

f:id:tokyokid:20190801134147j:plain

f:id:tokyokid:20190801134208j:plain

f:id:tokyokid:20190801134245j:plain

 

日記190721・土用の丑の日

日記190721土用の丑の日

f:id:tokyokid:20190721000931j:plain

 またまた鰻の話で恐縮です。でも土用となると丑の日、丑の日となると鰻の話になってしまうのは仕方ありません。

「なんで土用の丑の日に鰻を食べるのか」については諸説ありますが、人口に膾炙している平賀源内説を申し述べておきましょう。

 江戸時代、江戸の鰻屋は夏になると売り上げが落ちて困っていました。それはそうでしょう。夏のさなかに鰻を焼くのに炭火を起こさねばならないし、本来鰻の旬は魚に脂が乗る冬場なのですから夏季には売る物がなくて困っていたのです。鰻屋から相談を受けた平賀源内は当時「丑の日には‘う’のつく食べ物を食べるといい」という言い伝えがあったのを利用して「それなら‘こんち丑の日’と店先に貼紙をして鰻を焼いて売ればいい」と発案したところ大当たりになった、ということです。これが平賀源内起源説です。

 もともと丑の日は年に何回かありますが、夏の丑の日をうまく鰻に引っ掛けて利用したのが成功の始まりでしたね。お粗末な一席、お次がよろしいようで。

(写真はネットから借用)

f:id:tokyokid:20190721001000j:plain

f:id:tokyokid:20190721001032j:plain

f:id:tokyokid:20190721001106j:plain

f:id:tokyokid:20190721001146j:plain

 

日記190711・海の日

日記190711・海の日

f:id:tokyokid:20190711151416j:plain

 まいとし7月第三月曜日は海の日の祝日だそうである。今年は7月15日である。海の日にちなんで、海上自衛隊のイキな話をひとつご披露しよう。

 ちょっと古い話で恐縮ながら、2000年7月4日、アメリカの独立記念祭の日、ニューヨーク港に各国の船が集まった。帆船から商船から海軍の艦艇に至るまでさまざまな船が並んだ。日本からは海自の護衛艦・かしまが参加して港の決められた場所に錨を降ろした。近くに英国の豪華客船・クイーン・エリザベス号が停泊することになって、所定の場所に停泊しようとした。あいにく潮の流れが急で巨大な同船は流され、あれよあれよという間に流されて、係留されていたかしまの船首部分に軽く触れてしまった。大きな衝突ではなかったが、過失を起こした同船は係留を終るやすぐに機関長と一等航海士が謝罪にかしまにやってきた。

 謝罪を受けたかしまの艦長・上田勝恵一等海佐は、しきりに謝罪する使者に向って「幸い損傷は軽く、気にしておりません。それよりも、女王陛下にキスして頂いて光栄に思っております」と回答した。わたしなんぞも「なんとしゃれた受け答え」と感心してしまうが、この海上自衛官の気の利いた回答はたちまち港湾関係者のみならずマスコミにも大評判となったと。

 戦前の旧海軍じいさんであった作家の阿川弘之は、著書の中で自身が海軍士官であったときに、しきりに「海軍軍人はスマートであれ」と教育されたと語っている。この海軍じいさんがこの話を聞いたら、さしずめ「よくやった」と褒めるに違いない。□

(写真はネットから借用)

f:id:tokyokid:20190711151445j:plain

f:id:tokyokid:20190711151524j:plain

f:id:tokyokid:20190711151600j:plain