tokyokidの書評・論評・日記

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日記150816・大井町界隈(その2)チッキ貨物受付所跡

tokyokid2015-08-16

 いま大井町駅の線路上に駅ビルが建っている。その南端、隣りの大森駅にもっとも近いところに、昔広いカウンターを備えた、国鉄で送る携帯荷物を受け付ける窓口が置かれていた。もう馴染みのなくなってしまった言葉「チッキ」なるものを覚えておられる方が居られるだろうか。チッキというのは「チケット」のことで、要するに切符だ。なんの切符かというと、戦前から戦後すぐにかけて、長距離の列車旅行をする人は、この窓口に携帯荷物を預けると(もちろん有料)、その人の乗車券の行先の駅に届けてくれる、というものである。つまりチッキは遠距離の旅客乗車券を買った客だけが使える別送携帯荷物用のチケットなのだ。もちろん旅客と貨物は別々の列車で運ばれるので、発駅でチッキを頼んだ人は、着駅でチッキで送った荷物を別の日時に自分で取りに行かねばならない。チッキをよく利用した比較的大きな(容量の)荷物に、大きな転居用の布団袋などがあった。
 このようにチッキを利用するには、事前に旅客用の切符を購入しておかねばならない。それで初めてチッキを利用できるわけだ。荷物の持ち込み日時などにも、けっこう厳しい制限があったように思うが、定かではない。荷物には、麻縄や荒縄で、十文字にヒモを掛けておかねばならなかった。この荷造りがしていないと受け付けてもらえなかった、と記憶するが、これも定かではない。人間の記憶なんて曖昧なものだなあ。あ、人間の、ではなくて、私の、であった。ごめん、ごめん。
いまではクロネコヤマトが口火を切った宅急便で、一定の大きさ以下であれば、全国どこでも荷物を送ることができるようになった。宅急便は小さな荷物が中心なので、布団袋が送れるものかどうか知らない。やはり鉄道輸送とトラック輸送の差は、こんなところにも表れているのかも知れない。
 ひとつ忘れていた。このチッキ用カウンターにはもうひとつ役割があった。それは朝夕刊の新聞の配送である。いまでは新聞社から新聞販売店への新聞の配送は直接トラックで行うが、戦後、そう多分東京オリンピックの頃までは国鉄に依存していて、新聞配送の時間に合せた一両の新聞配送専用荷物電車を、たとえば京浜東北線南行に走らせていたものだ。新聞社は当時から有楽町近辺に密集していたから、朝夕そのあたりを出て、配送専用荷物電車は途中の駅を一つ一つ止まって、ホームに大量の新聞を降ろしていく。それを当時貨物を扱う駅にはあった古めかしい貨物専用のエレベーターでホームからチッキのカウンターに運び、それを新聞配達員が輪番でチッキの窓口まで取りに行って、リヤカー付きの自転車を使って、販売店に持って帰る作業を「紙取り」と称した。そんな作業も今は昔、いまはなにごとも便利な世の中になった。