tokyokidの書評・論評・日記

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日記151027・US Cars 40&50, 1955 Models

tokyokid2015-10-27

くるま151027・US Cars 40&50, 1955 Models
 戦後も10年経った1955(昭和30)年、アメリカのくるまのデザインは大きく変わった。この年から本格的に戦後の自動車のモデルが構築されたと言っていい。読者諸賢がご承知のように、アメリカは毎年秋にモデルチェンジを行い、来年型のくるまを売り出すのが通例だ。余談だが、日本では「(西暦で」何年型」という言い方をせず「(新車登録をしてから)何年落ち」と新車でくるまをおろしてから現在までの年数で表現するのが普通だ。私に言わせればこれは中古自動車屋の陰謀で、意図的に使用年数を暦と連動させず、わざと「日常生活年度を連想させず一目瞭然としない」政策をとっているとしか思えない。もっともふつう日本では西暦は使われず、天皇暦だから、これも仕方ないのかも知れない。アメリカでは、1957,58,59年型の三年間のくるまは特別扱いされている。その出来栄えはご覧のとおり。アメリカ人にとっては、第二次大戦に勝ってようやく手に入れた黄金の日々、まだベトナム戦争も始まっておらず、古き良き時代の象徴であった。
 閑話休題。この年からアメリカ車のデザインは、戦前のくるまを使っていた年代の人たちからすると、目を見張るほどに変わった。写真のモデルを見てほしい。この中で旧態依然たる戦前型を踏襲しているのは、エクステリアの色が黒であることも手伝っているところの、当時すでに経営危機に陥っていた Packard だけだ。あとはデザインと言いカラーと言い、一転して後年のアメ車のトレードマークとなった形も色も「ハデハデの」アメリカ車となった。特徴は自動車本来の機能には全然関係のないところにもデザインの手が入ったことだ。最初の Ford のくるまの屋根の上のハチマキ・デザインを見てほしい。こうした余計な飾りを入れることで、高級感を演出して多少高価なモデルを用意することで消費者の虚栄心をくすぐり、メーカーの懐を肥やす手段としたのである。一方車型はといえば、たとえば GM社でいうと、中級車のオールズモビルと大衆車のシボレーの形を共通の車体で賄うなど、コスト削減にも意を用いている。専門的にはプレス用の金型を共用にしたのである。はっきりいうと、この年からアメリカ車は「フォードT型以来の」単一車種・大規模生産方式に別れを告げ、多品種少量生産でより大きな利益を狙う方向に舵を切ったのであった。
 戦後10年目のこの年、「年間の」日本の自動車生産は「乗用車20,268台(軽自動車48台を含む)」「トラック43,857台」「バス4、807台」「三輪車87,904台」「二輪車259,304台」「合計416,140台」であった(自動車工業振興会が毎年秋の自動車ショーに合わせて発行する、自動車ガイドブック1964〜65年版から)。つまり当時の日本は、全体の過半数を占める二輪車を入れても、自動車と呼べるものは年間たったの 41万台 しか生産していなかったのであった。目を引くのは、三輪車の生産台数のほうが、乗用車のそれよりも四倍以上多かったことである。戦後10年経っても、日本では自動車は人間が乗るものではなく、荷物を運ぶものであったことがよくわかる。
 写真の Ford と Packard だけはネットから借用。ついでに当時日本で使われていた「三輪自動車」と「軽三輪自動車」の写真もネットから借用して載せておく。三輪車の写真は、年型はわからないが、1955 年よりは何年か後のモデルと思われる。余談ながら、いまネットで「三輪車」を検索すると、おもちゃばかりが出てくる。自動車の三輪車を見たいなら「三輪自動車」で検索せねばならない。ひとつだけ、Packard 車の後輪部分をみると、明らかに板バネを使っているのがわかる。この高級乗用車にして、当時はトラックと同じ板バネを使っていたのだ。いまはふつう後輪にはコイルばねを使っているから、こうして外からは見えない。