tokyokidの書評・論評・日記

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日記150811・大井町界隈(その1)立派になった駅前

tokyokid2015-08-11

 国電、いやJR京浜東北線大井町駅は、品川の次、電車に乗ってしまえば15分前後の短時間で東京駅に着いてしまうという都心に近い駅である。東海道線は素通りしてしまうが、最近は地下を走る「りんかい線」というのができて、新木場方面への連絡がよくなった。
 大井町駅前は、写真でご覧のとおりの繁栄ぶりである。正面のイトー・ヨーカ堂や銀行のあるところは、戦後すぐヤミ市の立っていた場所であった。今の人には信じられないことだろうが、ここには貧しい、汚い露店がずっと奥まで並んで、得体の知れない雑炊や、進駐軍の缶詰などの食料や日用品を法外に高い値段で売っていた。どれほど高かったかというと、戦後すぐの時点では、一個月分の給料で、一椀の雑炊をすすることができるかどうか、というくらい高い値段であった。だからこの頃庶民は、物々交換で、たとえば高級な和服を手離して農家にさつま芋と交換してもらう、ということをやっていたわけだ。そうやって手許の品物を手離して食料と交換するのだから、当時これを「タケノコ生活」と称していた。竹の子の皮を剥ぐような生活、という意味だろう。思えばこの頃のこの体験があるからこそ、われわれ戦前派はモノを捨てられない習性がついてしまったのだろう。
 駅の鉄道線路の上には、大きな商業施設のビルもできた。線路をまたいでいるから、大きな地震でもきて建物が崩壊したら、京浜東北線東海道線も止まってしまう。いまは横須賀線も新幹線も別の場所を走るから、まさかのときも大丈夫なのだろう。でもこれほど集積が進んでしまった首都圏では、なにごとも目論見どおり行くかどうかは、大いなる疑問だ。ひとつ、地元以外の人は、この界隈を「大井」と呼ぶことが多い。地名はたとえば「東大井」「西大井」などとなっているので、あながち誤りともいえないのだが、地元っ子はやはり愛着のある駅名をとって「大井町」と呼ぶ。そのほうがはるかに格式があっていいのではないか。わたしももちろん「大井町派」である。
 昔は大井町駅に隣接して立会小学校というのがあった。私が卒業した小学校だ。でもだいぶ以前に移転してしまって、その跡地は「きゅりあん」という妙な名前の商業施設になってしまった。2枚目の写真がそれだ。今回は大井町駅周辺の陽の部分、つまり陽の当る部分、サニーサイドを写真で紹介した。