tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

日記150905・大井町界隈(その4)仙台味噌

tokyokid2015-09-05

 JR大井町駅の東口を出て、大通りをまっすぐ海岸に向って左に進むと、5分ほどで仙台坂上のロータリーに着く。このあたりは昔立会町や林町があったところで、いまはミもフタもない「東大井」という町名に統合されている。明治のご一新までの昔の「荏原郡大井村」を知らない連中が権力を笠に着て、傍若無人にやることだから見るも無残だ。
 このあたりに、江戸時代から戦後すぐのときまで、高台のこの地から海を見下ろすところに、奥州伊達藩の下屋敷があった。だから「仙台坂」の名がついたわけだが、屋敷の中に仙台藩御用の「仙台味噌」を作る醸造所があって、それがいまでも続いている。これはもともと江戸時代に、江戸の甘ったるい味噌にあきたらず、きりっとした辛味のある東北特有の味噌を仙台藩士に供給することを目的に作った味噌醸造所であったそうだ。明治期になって、この仙台藩の味噌醸造所は仙台藩士個人に払い下げられて、いまでは「八木合名会社仙台味噌醸造所」という名の会社組織になっている。代表社員の八木さんは私の小学校一年生のときの同級生なのである。いまはこの醸造所から海は見えない。
 私は子供の頃からこの仙台味噌を食べて育ったから、いまでもわざわざ大井町まで味噌を買いにいく。現代ではインスタント味噌汁でも、粉味噌でもなんでもあるから、毎朝の味噌汁を、鍋を使って具とダシと味噌を入れて作る家庭は少なくなったことだろう。でもうちは頑なにこのスタイルを守っている。昔母が作ってくれた味噌汁の味がするからだ。ここの赤味噌白味噌金山寺味噌は絶品だ。計り売りもしてくれる。
 仙台藩下屋敷といえば、この地は戦後割合すぐに伊達家が売りに出した。そのとき蔵から江戸時代の鎧や兜が出て処分されたというが、いまはどこにあるのだろうか。世が世なら、伊達家のお姫さまがこの地に住んでいて、家屋敷の処分と共に立ち退き、そのあとは醸造所を除く跡地が朝鮮戦争に従軍した米軍兵士の休暇用の「伊達ホテル」となって、英語では「Date Hotel」と言った。「Date」はいまでは日本語にもなった「デート」にも通じる。いまはマンションやアパートや、駅前の小学校が移ってきたもとの屋敷跡の大きな敷地に、戦後の一時期、進駐軍用の大きなホテルがあったなどとは、今の人には想像もできないだろう。最初と最後の写真は、同社のHPから借用。