tokyokidの書評・論評・日記

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日記151115・USCars 40&50, 1959 Models

tokyokid2015-11-15

くるま151115・US Cars 40&50, 1959 Models
 いよいよ1950年代最後の年にさしかかったわけだが、この年の新車で目を引くのは、巨大な尾ひれがアメリカ車の世界を席巻したことであった。写真のオールズモビルやシボレーでご覧のとおりである。尾ひれもここまで大きくなると、当然弊害も出てきた。車庫付近でバックした際、建物とくるまの間に子供がいたらどうなるか。実際その手の事故が起きて、このあと尾ひれは縮小に向かう。
 もうひとつ、50年代は量産・量販のスポーツカーが登場したことだ。戦後も10年ほど経って、ようやくアメリカにも実用車以外の、趣味の自動車が登場したと言ってもいい。名称は必ずしもスポーツカーとは限らず、控えめにスポーティカーと呼ばれることもあったが、これはギリギリの性能を狙ったレース用のスポーツカーではなく、一般人が一般道をスポーティに楽しんで乗り回すためのくるま、という意味合いでそう呼んだと思われる。最後の写真2枚はネットから借用した青色のフォード社のサンダーバード(初代1955〜1957、クラシック・バーズ)と、赤色のGM社の シボレー・コルベット(初代1954〜62、C1型)である。後記するように、この年日本では日産から新たに「ダットサン・ブルーバード」が発売され、マイカー元年と称されるに至った。トヨタの新型コロナは翌年発売。
 こうして戦前から戦後にわたるアメリカ車のモデルは、戦前の黒色の地味な4ドア乗用車から、戦後は単なる4ドア車にとどまらず、カラフルな4人乗りや2人乗りのクーペやステーション・ワゴンや果てはスポーツカーに至るまでのおよそ現在みられるくるまのモデルが、1950年代が終わる直前に出揃ったのであった。このあとアメリカ車のスタイリングは、60年型車前半に50年代型車のいいところを引き継いだくるまが出たことが特記される。そのあとはやれ戦争だ、石油危機だ、とガソリンがぶ飲みの大型車は売れなくなり、日本製の小型車がもてはやされるようになって、平成の現代に至る。つまり時代は束の間の戦後の安定期から、ふたたび波乱の時代へと戻っていったのであった。
 この年社会人になった私個人にとっても思い出深い出来事を、例によって毎日新聞社・昭和史全記録から拾ってみよう。いわく「キューバ革命カストロ、バチスタ政権打倒」「南極大陸に前年置き去りにされたタロ・ジロが生存」「江利チエミ高倉健結婚」「皇太子御成婚」「永井荷風吐血死」「ON時代スタート」「児島明子ミス・ユニバースに選ばれる・アジア系初」「ダットサン・ブルーバードが発売されてマイカー元年・翌年トヨタはコロナを発売」「スパイ機U−2,藤沢飛行場に不時着」「伊勢湾台風」「月の裏側撮影に成功」「三池争議」「安保デモ隊国会構内に侵入」「北朝鮮帰国第一船」など多事。同書「冥友録」からこの年の有名人の逝去者を拾うと、前記の永井荷風のほか、セシル・B・デミル、鳩山一郎高浜虚子フランク・ロイド・ライト芦田均ビリー・ホリデイ五島慶太、阿部次郎、竹脇昌作、ジェラール・フィリップ北大路魯山人など、多士済々。この年ハーフサイズのオリンパス・ペンが発売された。