tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

2013-01-01から1年間の記事一覧

日記130726・身体の痛み始める頃

昭和のむかし、宝塚歌劇に「すみれの花咲く頃」という唄があった。当方は喜寿を過ぎて最近「身体が痛み始める頃」を痛感している。 現役の頃は、「老人はなんでああ動きがノロノロしているのか」と思っていた。駅の階段で手すりをつかんでソロソロと降りる老…

日記130721・融通聞きます

融通聞きます?! 写真はさる商店の店頭広告。 なんの融通を利かせるのか知らないが、「融通」は「利く」「効く」もので、「聞く」「聴く」ものではない。 日本人の日本語力も落ちたものだなあ。せめてもの慰めは、広告にこのほかの誤字当て字のないこと、お…

日記130709・佃の佃煮

今日は好物の佃煮の話をしよう。 佃煮の語源になった「佃」は、ご存じ東京都中央区佃一丁目である。地域の名としては「佃島」である。いまでこそ「中央区」の一部であるが、ここはいま佃大橋を渡って大川の向う側、したがって江戸の昔は江戸市中ではなかった…

日記130705・菜飯田楽

菜飯田楽は、池波正太郎の小説などで出てくる、江戸時代からの庶民のご馳走である。もっともいまの「チーズカレーライス」や「うなぎ牛どん丼」などの得体の知れない料理がうまいと思う若い者には、素朴な菜飯田楽の味わいは評価されないだろう。 いまは都内…

日記130701・日本自動車博物館

北陸の加賀温泉郷にある日本自動車博物館に行ってきた。住所は石川県小松市、となっている。場所は福井市と金沢市にはさまれた地域だ。展示物はバス・トラックの大型車から、いまの軽自動車の系列に入るミニカーまで、戦後殷賑を極めた日本の自動車工業を彷…

日記130627・誰か教えて!

このところ、さる老人ホームでボランティアをしている。なにをしているかというと、月一回古い映画の上映をやっているのだ。 ところが前期、後期、末期の高齢者に受け入れてもらえる映画の選定が頭痛ものなのだ。まず面白くなくてはいけない。楽しくなくては…

日記130623・いまどきのバアチャン

ひとむかしまえ、六十過ぎのバアチャンといえば、冬は陽のあたる廊下にちんまり坐って、孫の手袋でも編んでいる、というのが一般の社会通念だった。 それが日本女性の平均寿命が五十歳から八十何歳かに延びて、まあいまのバアチャン連中の、なんと活動的なこ…

日記130621・花のある風景

カリフォルニアの花のある風景をお目にかけよう。どこにでもある花だ。 昔いまは亡き母親がよく言っていた。 「花の好きな人に悪人はいないわよ」 その通りだと思う。

日記130516・LAダウンタウンの風景

ロスアンジェルスのダウンタウンの様子を何枚かの写真でお目にかけよう。 アメリカの大都市の風景で、日本にないものといえば、陽の当たる場所とそうでない場所の風景がまったく違うことだ。陽のあたる場所は、日米ともにガラス張りの大きなビルが林立してい…

日記130512・マネッココジキはよしとくれ

むかしむかし大昔、学齢前のガキ大将は、部下が自分のマネをしてばかりいると、こう言って囃し立てたものだった。囃し立てられることによって、ガキ部下もだんだんと自立の精神を育まれていったのだと思う。 写真は上から我家の下駄(ホンダCR−Z)と、カリ…

日記130509・アメリカの人員輸送車

以下はアメリカの人員輸送車を数種、写真で示す。 その前に、一般人の持つカギ束だ。ふつうの人は、最低いつもこれくらいのカギを持ち歩いている。 次の黄色のバスはスクールバス。デザインは全米で統一されているから見誤ることはない。かつてカリフォルニ…

日記130506・アメリカの作業専用車

以下はアメリカの作業専用車を数種、写真で示す。 最初の3枚は、配達用作業車だ。郵便局のも、宅配便のU社も、同じく宅配便のF社も、写真でははっきり見えないかも知れないが、右側通行のアメリカ車であるにもかかわらず、街の住宅地で配達の便を考えて運…

日記130503・落書き文化

落書き文化について考えてみた。 写真は、ロスアンジェルスのダウンタウン、都市中心部の大きな落書き6枚である。 アメリカの落書きもここまでくれば、立派な文化として認められるのではないか。 でもそれは、都市の中心部に、まるで廃墟のようなビルや倉庫…

日記130424・アメリカのハンバーガー

アメリカ人の考える「うまいハンバーガー・サンドイッチ(以下サンドイッチであってもハンバーガーと表記)」とはどんなものだろうか。 そもそもアメリカにおけるハンバーガーは、日本における握飯と同じしろものだ。主として軽食用だが、主食としても用いら…

日記130421・四文字英語

この写真を見てニヤリとできる御仁は、英語に堪能な御仁である。 その昔初めてアメリカに行った頃、気の置けないアメリカ人に、四文字英語を教えてくれ、と頼んでみたことがある。当方は辞書には出ていないが、アメリカ人であれば紳士・淑女を問わず頻繁に相…

日記130415・駄菓子ノスタルジア

アメリカの大規模商店街で、写真の駄菓子自動販売機をみつけた。 自動販売機といっても、電気も要らないし、お札識別機構も必要としない、ただ25セント硬貨を入れると、大きなチョコレート味などのチューインガム駄菓子が一個出てくる、というだけの単純なも…

日記130412・アメリカの家の境界線

アメリカの土地は広い。かつてアメリカのたいていの住宅地の独立家屋の平均的な広さは1エーカーつまり千坪ほどが単位だった。だからふつうアメリカの家や土地の境界線はとてもゆったりしていて、塀ではなく生垣や芝生などで区切られていることが多かった。 …

日記130410・魚雷サンドイッチ

写真は日系人の多いガーデナ市のとあるパン屋兼食料品屋で売られている潜水艦型のでっかいサンドイッチだ。私の知る限り、少なくとも一九七〇年頃には、すでにこの形で売られていた。この店では「Original Torpedo Sandwich」すなわち「魚雷サンドイッチ」と…

日記130408・アメリカの箒

アメリカの箒はこれだ。 日本では、戸外の地面を清掃するのに、竹箒などの「箒」を使う。だがアメリカでは機械の箒を使う。ここが違う。写真は泊ったモーテルのかなり広い駐車場の掃除をひとりで担当する清掃人だ。写真は清掃人が、その「機械の箒」を背負っ…

日記130406・レドンド・ビーチ その4

レドンド・ビーチのピアで、Yご夫妻と昼食をご一緒にしていただいた。 「pier」は普通日本語で桟橋とか波止場と訳されるので、つい不粋な水際の建造物を思い出してしまうのだが、ここでは写真に見るような立派な商店街が pier上に軒を連ねている。レストラ…

日記130404・レドンド・ビーチ その3

レドンド・ビーチでの鳥と禁止事項の写真2題。 ビーチには海に突き出した形の木造のピアがあって、そこではやっていけないことが標識に羅列してある。静かに散歩する大人を妨げない配慮がなされているのだ。禁止事項にはローラー・スケートやスケート・ボー…

日記130402・レドンド・ビーチ その2

レドンド・ビーチの、写真2題。 ツナミはすでに世界語らしい。アメリカの公共施設である標識にも、こうして直接「tsunami」という言葉が使われていた。私が大学生のときにツナミを英語でなんというかアメリカ人に訊いたことがあったが、そのときはツナミそ…

日記130331・レドンド・ビーチ

ラス・ベガスのあとは、サウスベイの海岸保養地として知られるレドンド・ビーチに宿をとった。 ロスアンジェルスの空港からもそう遠くなく、近くにはマンハッタン・ビーチ、ハモサ・ビーチなどの美しいビーチが並んでいるところだ。ご多分に洩れず、海岸沿い…

日記130329・雨のラス・ベガス

私たちがラス・ベガスを離れる日は、あいにくの雨であった。 やはりこの地方では、冬は雨期なのである。 ギャンブルの総決算はもちろんマイナス。だからこそラス・ベガスではホテル代も食事代も比較的安いのだろう。昔はもっと安かったものだったが。 途中の…

日記130327・LVロードショー

そういうわけで、ストリップ沿いの大ホテルのいくつかは、毎晩盛大にロードショーをやっている。いわば野外劇だ。泊ったホテルでは、海賊船のショーを毎晩四回ほどやっていた。そのたびに、前の歩道を埋め尽くす観衆が詰めかける。写真はその風景。部屋から…

日記130321・LVホテルとカジノ

最近は日本の観光地でも、大ホテルを作って宿泊客を建物のなかに囲い込み、そこで飲食からみやげものまで買わせる商法がはやっている。ラスベガスでは、大ホテルを作ってなかにカジノはもちろんのこと、レストランから大劇場まであるのは同じだが、囲い込む…

日記130319・ラスベガスの町

砂漠の中の人工の町・ラスベガスは最近どんどん大きく、きれいになった。ひとつは新しいカジノがたくさん建ち、観光客が飛躍的に増えたこと、もうひとつは別荘を建てて移り住む人が多くなった関係で、地域が広がったことだ。私が最初にラスベガスを訪れた196…

日記130317・Dantes View

デス・バレーの中央部にあって、広くこの「死の谷」を見渡せるのがこの Dantes View という展望台なのである。写真はその光景を何枚かに収めたものだ。空に飛鳥なく、地に走獣なし、という形容がそのまま当てはまる荒涼とした景色だ。地には草木も(オアシス…

日記130315・Scotty’s Castle

デス・バレーの名所のうち、唯一の人造建築物がこの Scotty’s Castle である。 荒涼とした長野県と同じ面積に、壮大な自分の邸宅を作ろうと考えた者がいた。その人物がつくったのがこの Scotty’s Castle である。1922年から建築が開始されて、当時の金で150…

日記130313・デス・バレー入口

写真はローン・パイン方面からのデス・バレー入口。ここでももう岩山・砂漠・塩湖跡など、荒涼とした景色の一端が見てとれる。デス・バレーには、海面下の地点もあり、地学的にも非常に興味あるところだ。公園のまんなかに Panamint Range という大きな山脈…