tokyokidの書評・論評・日記

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日記130709・佃の佃煮

tokyokid2013-07-09

 今日は好物の佃煮の話をしよう。
 佃煮の語源になった「佃」は、ご存じ東京都中央区佃一丁目である。地域の名としては「佃島」である。いまでこそ「中央区」の一部であるが、ここはいま佃大橋を渡って大川の向う側、したがって江戸の昔は江戸市中ではなかった。佃大橋は、私が社会人になる頃までは橋でなく渡し船であったから、この風情を覚えておられる方もまだたくさん居られよう。
 いまは佃一丁目の佃島の中には、全国どこでも漁師が信仰する「住吉神社」がこの地にもちゃんと鎮座ましまして、江戸初期からの佃の漁民の守り神としておられる。
 もともと佃は、徳川家康が江戸に封じられた天正年間、摂津国西成郡佃村の漁民三十三人を江戸に移住せしめ、この地を賜ったというのが定説である。当時はいまの大阪の西成区は海岸べりであったのだろうし、いまでこそ中央区の佃一丁目は、そのころ川向こうの市外地というか、川の中洲であった。その後江戸期から東京期にかけて周りが埋め立てられて、月島、勝鬨、豊海、晴海の町が形成された。佃は白魚が名物であった。「月も朧に白魚の・・・」「白魚や椀の中にも角田川(正岡子規)」など幾多の歌も残る。佃島で白魚やほかの小魚を醤油で煮〆て保存食としたのが佃煮の始まりといわれる。いまでも佃島には佃煮屋が何軒も現存する。
 一般的に佃で入手できる佃煮は、季節によって違うことはもちろんだが、昆布、海老、たらこ、かつを角煮、あみ、わかさぎ、きゃらぶき、のり、浅蜊、はぜ、葉唐辛子、蝗(いなご)、しらす、お茶漬昆布、でんぶ、いかあられ、ほたて貝ひも、うなぎなどの江戸風味である。
 写真は佃島(最初の写真左側)に渡る赤橋を背景にして大川端リバーシティの景観と、一軒の佃煮屋の「佃煮のしをり」、それにたまたま買物をした二軒の佃煮屋の包装袋を示す。