日記130503・落書き文化
落書き文化について考えてみた。
写真は、ロスアンジェルスのダウンタウン、都市中心部の大きな落書き6枚である。
アメリカの落書きもここまでくれば、立派な文化として認められるのではないか。
でもそれは、都市の中心部に、まるで廃墟のようなビルや倉庫の建物がたくさん残るアメリカの大都市ならではの光景であろう。
神経質に清掃された日本の東京のたとえば丸の内地区にこの種の落書きが現れたとしたら、我々は平静でいられるだろうか。いられるはずはない。理由は磨き立てられた都市風景に落書きはそぐわないからである。落書きは猥雑な都市風景にこそ似合う。
そんなことを考えさせられるアメリカの落書き風景であった。断っておくが、このような落書きは、ロスアンジェルスの専売特許ではない。ニューヨークでもシカゴでもデトロイトでも、アトランタでもニューオーリンズでも、サンフランシスコでもシアトルでも、もっと立派?なものも含めて、どこでもいくらでも見られる風景なのである。
ひとつ不思議なことは、いくらアメリカでも、たとえばヤンキー・スタジアムやボストン美術館や国立公園内の建物のような、人の集るよく手入れされた建物では、これほど大規模な落書きを見たことはないことである。きっと落書きされても管理者がすぐ消してしまうのであろう。
でも清潔好きの日本人のはしくれである私としては、落書きはないほうがいいなあ。