tokyokidの書評・論評・日記

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日記170721・日本語を忘れた日本人

tokyokid2017-07-21

日記170721・日本語を忘れた日本人
 15年ほど前、カリフォルニア州の日系老人ホームでボランティアをしていたとき、日本から大学生が三人、実習に来た。男子学生が二人、あとの一人は女子学生であった。いまどきの日本の学校は、専門教科の実習を外国で行っても単位取得につながるらしい。これはいいことだと思った
 で、これら三人と懇談の機会があったので「君たち、かわや、はばかり、せっちんとは何のことか知っている?」と訊いてみた。「厠」「憚り」「雪隠」のことで、いずれも「便所」の意味である。三人とも黙っていたが、辛うじて女子学生だけが「はばかりというのは、憚ると関係のある単語ですか?」と訊いてきた。それだけであった。つまりはこれら三人の大学生は誰ひとりとしてこの三語を理解できなかったのであった。
 これら三語はいずれも日本語で、「便所」「トイレ」の意味である。排泄行為をする場所をあからさまに言うことは「憚られる」から、婉曲にその場所を示す語があるのである。それが「かわや」であり、「はばかり」であり「せっちん」であるのだ。でもこれらの(当時の)大学生は英語の「トイレ」や「パウダールーム」は知っていても、日本語のかわややはばかりやせっちんは知らなかった。いまや彼らは35歳を過ぎて、もしかすると四十歳に近いかも知れない。いまは(そのとき私が説明しておいたから)それらの意味を覚えているかも知れない。でも彼らの同級生は必ずしもそういう機会に恵まれないで、いまでも「厠、憚り、雪隠」の意味を知らないかも知れない。
 「孔子」は「四十にして惑わず」と言った。言葉を知らない者がどうして惑わないでいられようか。折しも日本では小学生に英語を教えるという。結局は英語の「トイレ」や「パウダールーム」を知っていても、日本語の「厠」や「憚り」や「雪隠」を知らない日本人を量産するだけのことになりはしないか。
 このブログの読者は、右欄の「サイト内検索」欄に「トイレ」や「名古屋港」と入れて検索してみることをおすすめする。他のトイレに関する記事がでてくるはずだ。□
(写真は自分で撮影したもの一枚と、あとはネットから借用)