tokyokidの書評・論評・日記

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日記170711・大愚問その2、お茶をのみますか?

tokyokid2017-07-11

日記170711・大愚問その2、お茶を飲みますか?
 叔父がよく言っていた。「お茶を召し上がりますか?というほどケチな質問はない。大愚問というべきだ。もうお茶どきだと思ったら、質問を省略してお茶を淹れて持ってくればいいんだ」と。たしかにこの質問は大愚問に属するだろう。聞きようによっては、なんだかお茶を淹れる側が手間を省きたいがためにこの質問を発しているようにも見える。
 山本周五郎池波正太郎の時代小説を読むと、貧乏浪人の家なぞで、茶の用意がないから、仕方なく客人に白湯を汲んで出すシーンがでてくる。白湯でも水よりはマシだし、ましてなにも接待の意を表すものがないとすれば、白湯でもないよりははるかにマシだ。たかがお茶、されどお茶、なのである。日本人は古来こよなくお茶を愛してきた。もちろんここでは紅茶のことではなく、一般に緑茶といわれる日本茶のことである。近年日本人の生活が洋風化してきたことによって、緑茶の消費量も減ってきたそうだが、近年の健康志向の意識変化にうながされて、それでもまだまだ日本茶はよく飲まれている。
 でも筆者にしても運の悪い読者諸賢にしても、不幸にして気働きのいい奥さんのいない家庭では、あなたがお茶を飲みたい頃だと思いながら席に着いても、目の前に黙ってお茶と菓子が出てくるとか、夏ならばビールが冷えてますとか、ビーナッツと一緒に出てくるという幸運にいつも恵まれるとは限らない。奥さんにしてみれば、ほかのことで手一杯なのだから標題の質問がでてくることになるのだろう。近年の会社で女子のお茶汲みがなくなってしまったように、あなた自分で入れて飲んで、ということになるのがオチなのかも知れない。
 日本茶にはいくつかの種類がある。玉露、煎茶、ほうじ茶、番茶、粉茶等々である。はっきりしていることは、お茶の味は値段に比例する、ということである。でも今のミルクでご飯を食べたり、コーラでおにぎりを頬張る「従来の日本では見なかった味蒙昧の輩」には、なにを言ってもムダということか。□
(写真はネットから借用)