tokyokidの書評・論評・日記

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日記120917・名古屋港のトイレ

tokyokid2012-09-17

日記120910・名古屋港のトイレ

 名古屋の地下鉄は東京と違って、とてもわかりやすい。環状線があって、さらに東西南北を貫く路線が何本かあるだけだ。その一本が、名古屋港まで延びて終点になっている。この駅で降りて地上に出ると、港特有の雰囲気があって、休んだり飲食したりするところも適当に散在していて、散歩コースとしてもおすすめだ。
 ところが当方も散策していて、公衆便所、いや公衆トイレか、の所在を明確に示すためと思われるが、そのものズバリの「トイレ」とそれも黒ペンキで何の芸もなく「大書」したトイレに遭遇した。写真がそれである。
 昔日本では、トイレのことを「はばかり」「雪隠」「ご不浄」「便所」などと、あからさまに排泄する場所と言わない日本語で表わしてきた。外来語であっても、「トイレ」もその一種だろう。
 言葉がそうならば、場所もふつうはメイン通りからちょっと外れたところにしつらえてあるのが普通だ。それをなにも大通りに面したところにあるこのトイレの壁に、こんなに大きな文字で堂々と書かなくてもいいのではないか。前の通りを二人連れで焼芋でも頬張りながら歩いている人たちは、この大きな文字を見てどう感じるだろうか。
 もし遠くにいる人にも、どうしてもこのトイレの所在を明らかに示さねばならない事情があるならば、なにも「即物的」でこんなぶざまな文字を選ぶのではなくて、感覚的にもっと「詩情豊か」などこでも見かける「しゃれたトイレのサイン」を壁に大きく図示しておいたほうが、はるかに感じがよくなりはしないか。いまは日本中どこでも見かけるたくさんの外国人にも分かりやすくていいだろう。ま、われわれを「後期高齢者」と命名する役所が決めることだから、気の利いた命名や記名は、あんまり期待できないけれどね。