tokyokidの書評・論評・日記

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随筆・駐在員今は昔(その十二)【EWJ080801掲載原稿】

tokyokid2009-04-24


駐在員今は昔(その十二)

 所変われば品変わる。日本では店に行けばいくらでも売っているものが、アメリカでは必ずしもそうでない。その反対の事例もある。明治維新以来、日本では文化・文明面で欧米の先進国に追い付き追い越すことが最大の課題であった。そのために無理をして列強相手に大戦争を引き起こし、ついには国を滅ぼしたくらいなのである。以下は駐在員が経験した、現在でも続く日米文化・文明のささやかな相違点の事例である。
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 一九六〇年代に、日本の企業から派遣されて初めてアメリカに市場調査のためにきたM氏は、まずアメリカのトイレに入って仰天した。日本では用を足すときの必需品「ハンカチ」が要らないのである。アメリカでは、自宅や工場など私の場所であろうと、空港や商店街などの公共の施設であろうと、トイレに行けば必ず「トイレット・ペーパー」と「手拭き紙」が、いつでもどこでも常備されているのが当り前だから、アメリカでは「ハンカチ」の出番がないのである。だからアメリカでは、大手の百貨店に行っても、ハンカチの売場はあっても非常に小さい(アメリカでのハンカチの用途は紳士が背広の胸ポケットに差す装飾用が主である)。いまでは日本でも高級な公共の場所、たとえば高級ホテルなどのトイレはアメリカ並みになってきたが、交通機関の駅やターミナルなど、不特定多数が利用するトイレでは平成のいまでも常備していないところがあるのではないか。まだまだ日本はアメリカに追い付いていないのである。そういえば先日日本からきた大学生3人に「はばかり」を知っているか質問したところ、誰も知らなかった。「雪隠(せっちん)」「厠(かわや)」「ご不浄(ごふじょう)」なども死語になったらしい。いずれも「便所」「手洗い」のことである。
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 同じくアメリカで売っていないものに「耳掻き」がある。日本人にとっては、毛玉のついた竹の耳掻きで、佳人の膝に頭を載せて耳を掻いてもらうのは快楽の一種であるが、アメリカ人はあまり耳の掃除をしないで済むらしい。するときにはプラスチック棒の両端に脱脂綿を巻き付けた「Qチップ」を使う。M氏は最初日本から耳掻きを持参せず、あまりの痒さに悶絶寸前になった。以後かならず日本製の耳掻き数本を持参するようにして事なきを得ている。
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 逆に日本にあってアメリカにないのは「現金書留」である。友人に立て替えてもらった小額の金額などを返金するとき、定められた一定の金額以下であれば、日本では郵便局に行って現金書留の封筒を買い、必要な額の現金を紙幣も硬貨も取り交ぜて、郵便で送ることができる、とても便利な制度だ。もちろん書留扱いであるから、普通郵便とは違うわけだが、それでもときたま配達中に自転車の郵便の束から抜き取られるなどの事件があることがあって、新聞を賑わすことがある。日本ではその程度の事故しか起こらないのだ。それがアメリカでは、たとえ1ドル、2ドルの小額でも、受け取り側も郵便局も「封筒に現金は入れないでください」の大合唱である。将来日本で現金書留の制度が廃止になるときが、文化・文明度において日本がアメリカに追い付いたときなのだ、とM氏は考えている。□
【EWJ はハワイ州で発行の情報誌 East West Jounal のこと】