tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

書評・聖路加国際病院八十年史

tokyokid2008-05-15

書評・聖路加国際病院八十年史(聖路加国際病院・発行)聖路加国際病院八十年史編纂委員会・編集

【あらすじ】
 この八十年史は、昭和57年(一九八二)に、当病院設立後80周年を記念して発行された。本書に「八十年史刊行のことば」を寄せた聖路加国際病院・院長(当時)の野辺地篤郎氏によれば、創立一〇〇周年を記念して作るのが適切であろう「年史」だが、それまでに起り得る人物・資料その他の散逸に備えてこの八十年史を作ることにした、とのことだ。まことに用意周到なことと言わねばならない。ちなみに一〇〇年史はこのあと「聖路加国際病院の一〇〇年」として発行された。内容は病院関係者四人の序文に続いて「序章」「沿革」「後章」「付」「グラフ」「後記」に分かれる。面白いのは「グラフ」で、じつはこの章は明治三十三年(一九〇〇)の最初の「施療診療所」から始まって、昭和三十七年(一九六二)の三笠宮・同妃出席のもとに行われた創立者トイスラー誕生日の「発展計画完成感謝礼拝式」に至るまでの、二十頁にわたる「写真アルバム」なのである。すべて白黒のスチル写真であるが、明治・大正から昭和に至る病院の建物や行事や風俗がみられて興味が尽きない。特筆すべきは「沿革」で、この章はさらに「診療」「看護」「看護教育」「診療補助」「事務」「チャペル」の小章にわかれる。文中興味ある記事のうちひとつだけを指摘すれば、腎臓透析はその後一般化されていまでは誰でも受けることのできる非常に優れた治療法のひとつであるが、当病院では昭和四十四年(一九六九)に最初の人工腎透析装置1台が設置され、第一号患者の透析が行われたとのことだ。腎臓透析ひとつをとっても、その後の短期間にこれほどの普及を見たということは、我が国が戦後平和に過ごした時代の賜物といわざるを得ない。本書のなかで、明治維新後に当病院がほそぼそと発足して、それからだんだんと内容を整えていくさまや、途中の「米国聖公会」による資金その他の援助、また戦後の米軍による病院施設の接収や返還など、我が国の大規模病院の走りともいえるこの「聖路加国際病院」の足跡を八十年に渉って辿ることができる。ついでながら、当病院のある「東京都中央区明石町」は、江戸時代の「鉄砲洲」のあとであり、当時の江戸幕府が大砲の試射をしたところである。近くに福沢諭吉慶応義塾発祥の地もある。
【読みどころ】
 本書の「序章」に語られるとおり、当病院と「米国聖公会」のきずなは非常に強い。もともと宗教法人としての「聖公会」は英国が本場で、米国の聖公会はその出先機関であった。だが日本に対するアプローチでは、米国聖公会が先を越したとみえ、本書では「安政6年〜明治45年」の項に「米国聖公会の宣教師・C・M・ウイリアムスが安政6年(一八五九)長崎に上陸したときに始まる」と記している。当病院との関係でいえば、創立者トイスラー博士が米国出身の医師であったことが決定的に影響しているといえよう。系列でいえば、日本各地でみられるキリスト教宗教法人聖公会とのつながりが深い。大学でいえば東京・池袋の「立教大学」である。当病院と宗教との関係はそれほどにしておいて、当「聖路加病院」は日本における大病院の一方の草分けであることも事実なのである。明治維新以降、日本は西欧に追い付き、追い越すことを国家の目標にしてきたが、この「八十年史」を読むと、当時の日本人がひたむきに当時の西欧の文明を取り入れるのに熱心であったさまを窺うことができる。その努力はいじらしいほどのものである。またなぜか明治期創立当時から、当病院と日本の皇室との結び付きが深く、その状態が現在でも続いている。このあたりに宗教と権威のいわくいい難い理由による接近の気配、はっきりいうと(後述の差額ベッド問題ともからんで)両者に得体の知れないいかがわしさを感じるのは評者だけであろうか。
【ひとこと】 
 聖路加国際病院には直接には縁もゆかりもない評者がなぜ本書を手にしているかについては、以下のエピソードを述べねばならない。戦前の映画界を風靡したアメリカ人の姉妹女優といえば、オリヴィア・デ・ハヴィランド(映画・風と共に去りぬなどに出演)とジョーン・フォンテイン(同・レベッカジェーン・エアなどに出演)であった。この日本生れの姉妹は長じてから不仲なことで有名になった。評者とこの姉妹とは遠い姻戚関係に当るが、オリヴィア・デ・ハヴィランドから自分の生れた病院「聖路加国際病院」とはどういうところかと訊かれ、その説明資料として同病院のサービスセンター・ギフトショップで購入したのが本書であった。
【それはさておき】
 現在聖路加国際病院は、一種の「高級な」病院として知られる。入院するといっても「差額ベッド」が大半で、それも近い将来全部切り換わるということだから、庶民が気安く入院できる病院ではなかろう。皇室との関係も、そのようは経営方針に関連しているのではないかと思われる。本来貧民を救うという見地からすれば、キリスト教に限らず、宗教団体は、貧乏人のふところに入って救済活動をするのがもっとも効率がいいはずである。だがそれでは費用がまかなえない、ということで、金持ちからの寄付を仰ぐという実質的でもあり、名目的にもなり得る理由によって、こんにちでもたくさんの宗教団体の「教会」は山手の高級住宅地のなかなどに建てられることが多い(もちろんカトリックのゼノ神父のような例もある)。これはなぜなのか。ところで評者の母親は、英国聖公会の敬虔なクリスチャンであったが、学生のころに評者の親しい友人であったA君が遊びに来たときにこの質問を発して、母親本人は答に窮していたのが、いまは懐かしく思い出される。
【蛇足】
 本書は三五〇頁余りの堂々たる本だが、左綴じの横書き本である。社史でも以前に挙げた日産自動車ほかの会社の社史でも、横書き本は少なくない。評者の意見を言えば、英語の単語でもふんだんに使ってあるならともかく、一読してみればそのようにも見えず、この種の本で横書きは読み手にとってまことに読み難い。漢字は「上から下、左から右」へと書き順がきめられているから、横書きにされると漢字のつながりがよくなくなる。また漢字自体がもともと縦長の字体である。このようなことから(定期刊行物たる毎日の新聞の紙面をみても)、日本語はやはり縦書きに限る。学術論文でもあるまいし、社史のような本に横書きはふさわしくない。このような事態を招いたのは、なにか特別な理由でもあったのだろうか。ま、肝腎の日本人の大多数がそのように感じることがなければ、それはそれでかまわない些細なことではあるが。□