tokyokidの書評・論評・日記

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コラム・わたしのアメリカ観察 6

tokyokid2011-11-08


★欧米ひとくくり

 日本ではアメリカと欧州諸国を含めてひとくくりに「欧米」と呼ぶ。江戸末期から明治維新にかけて欧米の文明が大量に日本にも入ってきて、当時の(今でもそうだが)日本人は物質文明が進んでいた「欧米諸国」を先進国として認めていた。(文明ではなくてとくに精神的な)文化の面では、自国の日本のほうがはるかに優っていた面があったのにもかかわらず、である。このことは当時の日本には盗難や殺人などの犯罪が世界のどこに較べてもはるかに少なかったこと、従って江戸末期にすでに百万の人口を抱えた多分当時世界最大の都市・江戸の警備を司る南北両町奉行所の定員が百人単位の規模であった、ということからも窺い知ることができる。たった数百人で百万人の治安を守ることができていたのである。余談ながら、ペリー以後日本に来た英国人が、街角で町人が腰の矢立と紙を取り出して、さらさらと筆でメモを書いているのを見て「日本は文盲が極端に少ない。こういう国は容易に征服できるものではない」と日記に記したという。江戸時代に欧米人からそのように観察された日本はそれから約百年後に欧米諸国に降伏することになるが、その歴史や責任は、戦後充分に検証され、認識されてきたのか。答は「否」である。
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 それはさておいて、江戸時代末期の日本人は、欧州にも行き、アメリカにも来て見聞を広めていった。その結果都市に高層建築が並び、都市間には汽車が走り、軍備に使われている銃も(江戸時代を通じて日本の常識であった)火縄銃からはるかに進歩したライフル銃や拳銃が広く使われているのを見て欧米は先進国であると認識し、その結果「欧米」という概念や言葉が生じたのであろう。実際は欧州とアメリカでは、歴史や考え方が非常に異なるにもかかわらず、当時欧米を視察した日本人は、目に入る物質文明だけを見てひとくくりに「欧米」を先進国として認識してしまったに違いない。
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 明治維新当時、欧州は身分制度の固まった世界だったし、アメリカは人種の壁の厚かった世界であった。アメリカでいえば、民主主義を標榜していても、それは長い間白人種間における民主主義だったのであり、他人種たとえば黒人などの少数民族も平等に扱われるようになったのは近々この半世紀、戦後のことなのである。
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 ほかにも欧州とアメリカの違いはたくさんある。法律から選挙から嗜好から、数え切れないほどある。一例を挙げれば道路の幅である。未開地を切り開いて作られたアメリカの道路の幅は直線で広い。古代からの道がいまだに綿々と続く日本の街道はせまく曲がっている。この中間が欧州であろう。欧州は文明の発達に従って古い街道筋を拡張してきたが、日本はまだその途上にある。そのほか「米」では「相手をファーストネームで呼び合う」「男がネクタイビンを使う」などの点で「欧」と異なる。もちろん「成人後の親子関係」「ユーモア感覚を重視する」などの共通点もある。現在の日本人はこれら「欧米」の差をよく呑み込んで対応しなければならないが・・・欧米の物質文明だけを見て精神文化を軽視してきた日本人にそれができるのだろうか。□
*画像は欧米北部で共通してよく見られるログハウス