tokyokidの書評・論評・日記

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日記150625・雷門界隈

tokyokid2015-06-25

 浅草にきた。浅草ならまず雷門だ。雷門なら金龍山浅草寺だ。そして浅草なら、古き良き時代の料理だ。江戸から東京へ、何百年の歴史を誇る浅草なのだ。いまは世界にときめくアメリカだって、ヨーロッパ人による「発見」は1492年、建国は1789年ではないか。アメリカ建国よりよほどの昔から浅草は日本全国に知られていたのである。
 私の母方の祖父・稲田譲が昭和5年に「浅草(文明協会ライブラリ)」という書を著しているので、そこから引用しよう。いわく「徳川氏の初期頃には江戸宿と浅草宿とは全然別個の存在であった」「浅草の地名は、江戸砂子によれば{草も浅き武蔵野}といふ意味に解し・・・」とあり、また「江戸と共に古くから名の知れた地は橋場と浅草であるが(中略)源頼朝も通ったところであって・・・」ともある。源頼朝は1147〜99年の人であるから、浅草はアメリカ発見や建国どころの比ではない古来の地、ということができよう。
 で、いまも浅草は写真でご覧のとおり人で溢れ返っていた。あまり知られていないが、雷門前の道路の下には、大駐車場が建設されている。大川(隅田川)の向うにはウンコビルも見える。地元の人もそう呼んでいる。いったいこの建物は、持主のビール会社が旧工場跡地を開発していまは一階にはレストランを開いているものだが、いつかレストランに行ってここの店員に「このビルは何の形を模して作ったのか」と問うたところ「ビールのジョッキです」ということであった。それならジョッキ部分の黒と、泡部分の金色は、まったくそぐわない。ウンコビルと呼ばれてしまう所以である。
 ヒルメシは雷門横のてんぷらの「三定(さんさだ)」にした。この店のたたずまいと、二階の客席から見た雷門交差点の写真を掲げておく。この店は・・・・・【三定の創業は、天保八年(1837年)江戸時代の事でした。以来170年以上に渡り、天ぷら屋として最も古い暖簾を継承しております。初代の定吉(さだきち)は、天保二年、同郷の先輩を頼りに三河(今の愛知県)より上京し、後に人形町の自宅前に天ぷら屋台をはり、三河定吉みかわやさだきち)、即ち三定(さんさだ)となりました】・・・・・と自称しており、いまでも江戸前のてんぷらを出す老舗中の老舗である。写真は天丼、いかにも江戸好みの天丼も味とそのたたずまいであった。これだけの老舗が「エコ箸」なぞ使っていなかったのが嬉しかったね。