tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

書評・唐詩解釈辞典

tokyokid2007-11-27

書評・唐詩解釈辞典(松浦友久編)大修館書店

【あらすじ】
 この「唐詩解釈辞典」は、早稲田大学教授・文学博士であった松浦友久が編著者で、ほかに十四人の共著者が加わって作った、漢詩のかなり本格的な解説書である。帯に「唐詩解釈の決定版」「引用資料はすべて出所を明示・確認」と書いてあるのもうなづける。内容は編者の「唐詩概説」から始まるが、この章は「本書編集の目的」「訓読と音読」「総集・別集・その他」「詩人とその時代・四唐区分」「詩型と韻律」「詩型と表現機能」「題材と心象構造」に分かれ、この章を読むことにより、概説的に漢詩を理解することができる。そのあとが本来の「校注・唐詩解釈辞典」で、無慮50人以上の詩人の名が五十音順に並んでいる。もちろん掲載されている各詩人の詩の数は、ひとり一首から、王維、李白杜甫白居易のように、名作をたくさん残した詩人に関しては、収録数が格段に多いことは言うまでもなかろう。本文のあとが「付録」で、「詩人小伝」「テキスト解題」「唐詩年表」「長安・洛陽城坊図」「唐代(盛唐)官制簡表」「唐詩地図」それに「あとがき」と続く。素人としては、最後の見開きの唐詩地図を眺めるだけでも、詩趣をそそられることは疑いない。目次の直後に読み下し五十音順の「詩題索引」がついているので、読者は詩の題を記憶していれば、簡単にその詩の解説頁を見出すことができる。
【読みどころ】
 本書の内容を量で表せば、「本文」すなわち「唐詩解釈辞典」の部分が圧倒的である。前述のように、この部分は詩人別になっている。内容はまずその漢詩の原文と、日本語の読み下し文が対に並び、そのあと「テキスト」「校語」「詩型・韻字」「語釈」「通釈」「諸説の異同」の項目別に、懇切丁寧な解釈がつく。日本語のテキストとして、これ以上の解説はあるまいと思われるほど、微に入り、細を穿って解説してある。ひととおり漢詩好きを自認する読者でも、本文を読むうちにかならず新しい発見があるはずだ。
【ひとこと】
 日本人なら誰でも一度は聞いたことがあるであろう白居易の「長恨歌」の冒頭部分を下記してみよう。
漢皇重色思傾国・漢皇色を重んじて傾国を思ふ  
御宇多年求不得・御宇多年求むれども得ず
楊家有女初長成・楊家に女(むすめ)有り初めて長成す
養在深閨人未識・養はれて深閨に在り人未だ識らず・・・・・・・・・
こうしてみると、横書きの漢詩というものは、まことに読むに堪えないことがつくづくと痛感される。やはり漢字は縦に並べるものであり、字の書き順も上から下へ、左から右へ、と定められていることは、人も知る通りである。
【それはさておき】
 平成十九年のいま、日本全国の公立高校から「漢文」の授業が消えて何年か経つという。江戸の昔の寺小屋では、いまでいえば小学校低学年生くらいの子供たちが大声で「子日く(シ、ノタマハク)・・・」と漢文の素読をやらされていた。それも漢文の原文を読まされていたわけで、和文の読み下し文を読まされていたわけではなかろう。もちろんこの年齢では、漢文の持つ深い意味を解釈することはできず、ただ先生が読む文を棒読みに繰り返して読んで覚える、という段階だったと思うが、子供が大きくなって、本を読んだり大人の話を聞いたりするうちに、自分が子供のとき寺子屋で習った漢文が「半切れ」状態で出てくる。そのときに記憶がよみがえって、漢文の深い意味を汲み取ることが(そこで初めて)できたのだろう。「素読」とは、意味の解釈をせずにただひたすら読むだけのことであったが、そうやって当時の日本人の漢字知識ひいては日本語の知識は蓄積されていったのだ。明治以前に日本に来た西欧人が、町中で立ち話をしている町人が、腰から矢立を取り出してすらすらと文字を書いて相手に渡す情景をみて、「日本人は庶民に至るまで読み書きができる。この国を征服するのは容易なことではなかろう」と判断した、ということをどこかの本で読んだことがある。事実明治の頃の日本の文盲率は、欧米諸国よりはるかに低かった、という統計がある。その日本人が漢文の素読をしなくなって、常用漢字もたったわずかの2千字に制限した挙句が、カタカナ英語、和製英語を含めて外来語が氾濫・多用する割には、日本語に関しては漢文も古文も、明治時代の文章すらもそのままでは読めなくなってしまったいまの日本人を見ることができる。□