tokyokidの書評・論評・日記

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書評・理科年表

tokyokid2007-11-21

書評・理科年表・机上版(東京天文台編纂)丸善

【あらすじ】
 世の中の森羅万象は「自然科学」と「社会科学」の2分野に分けることができるが、この「理科年表」は自然科学分野の辞典として、その内容の幅広さ、濃さ、興味深さにおいて一頭地を抜いているように思われる。内容を目次から拾うと「暦部」「天文部」「気象部」「物理/化学部」「地学部」「生物部」と分かれており、最後に「附録」「索引」がつく。内容をさらに詳しく見てみると、たとえば「物理/化学部」では「単位」「元素」「物性」「熱」「光」「電磁気」「原子・分子・原子核」「雑」にわかれているという守備範囲の広さである。また「地学部」は「地理」「地質および鉱物」「電離圏」「地磁気および重力」「地震」に分かれているが、そのうちのたとえば「地震」は「地震関係公式諸表」「津波予報」「日本付近の被害地震年代表」「日本(気象庁)の地震観測所一覧」「中国大地震年代表」「世界大地震年代表」「1983年の日本付近の地震概況」「地震学上のおもな出来事」と分かれている。じつに詳しい、と言わざるを得ない
【読みどころ】
 昔中国で「暦」といえば、為政者たる「皇帝」がその立場を人民に知らしめるための大切な道具のひとつであった。すなわち暦を司る者は天下も司った。これは農業を主に営んできた民族にとっては、必然の現象であっただろう。こんにちでは暦は直接的に政治とはなんの関係もなくなったが、依然として生活に重要な指標であることは論を俟たない。前項で取り上げた地震津波も、人間の生活に(マイナスの)重大な影響を及ぼすという点では、同じことであった。つまりこの「理科年表」で取り上げられている事象は、基本的に自然科学分野の重要事項がすべて含まれているのである。ふつう専門の研究者でなければ、それぞれの数値などを常時記憶しているわけではないから、一般の人は必要に応じてこの本をひもとくことにより、事物をより正確に、より深く、より身近に確認することができる。評者のような素人にも興味深い内容の一例を挙げれば、「気象部」の「気温の最高および最低記録」のなかで、北海道最北端の稚内で1944年1月30日に観測された最低気温が−19.4℃、これに対して稚内よりは南に位置する帯広での最低気温は1922年1月31日の−34.9℃であったことがわかる。すなわち最低温度に関しては、南の帯広のほうが北の稚内よりも大幅に低いのである。科学する心の大切さが、このことからもよく理解することができる。
【ひとこと】
「災害は忘れた頃にやってくる」の名言があるが、この「理科年表」を読むと、「地震」に関しては過去の事実を事実として把握することができる。それも日本、中国、世界の地域別にである。大正12年(1923)に発生した関東大震災からすでに80年が過ぎ、周期からみても東京付近にいつ大きな地震がきてもおかしくはない、と予報者は口を揃える。同時に次の東海や南海地震も研究者の口の端にのぼって久しい。地震なら地震の過去の歴史を、一覧表の形で読者に提供してくれるのがこの「理科年表」なのである。言うまでもなく、このことは「地震」に限らず、ここに記載されてあるすべての「森羅万象」に共通して言えることなのである。
【それはさておき】
 本書の「地学部」には「津波予報」が取り上げられているが、最近ではアメリカでも「津波」は「tsunami」として、「大君」「tycoon」、「寿司」「sushi」などとともに元の日本語がそのまま英語表記として定着した。海に囲まれた日本の地震科学者が、長い年月にわたっての地震津波に関しての研究の成果が認められた結果ではないかと、部外者ながら評者はこれらの研究に最大級の敬意を払うのにやぶさかではない。また評者が本評の底本にしたのはじつに古い昭和六十年版(1985)で、いまから二十二年も前の「第五十八冊」であるが、この本は律儀に毎年発行されていることを付記する。この本の面白さは付録を「付録」と書かないで、わざわざ「附録」と書くあたりが、自然科学者の物堅さを物語って遺漏がない、と評者は感じる者である。□