tokyokidの書評・論評・日記

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論評・EWJ「四字熟語」コラム・役夫之夢

tokyokid2011-05-02

(四)「役夫之夢」(えきふのゆめ)
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 人生の栄華は夢のようにはかない、ということ。転じて「欲求不満を夢で補う」という意味にもなる。出典は「列子」周穆王。「役夫」とは「使用人」や「下僕」のことで、昔中国の人使いの荒い家で働かされていた下僕が、夢のなかで国王となり、政治をとりおこなう夢を見たという説話による。
 役夫の「役」はもともと仕事、いくさ、召使などいろいろな意味がある。「役立つ」「役をもらう」「役割」などのようにプラスイメージの言葉もあるが、「役務」「苦役」「役徒」「兵士」などのように直接労働に関連する重労働・下働きを連想させるマイナスイメージの意味のほうがむしろ多い。「役夫」もマイナスイメージの言葉で、読んだとたんに「重労働に苦吟している下僕、兵卒」というイメージが先行する。いっぽう「夢」の意味は「眠っているとき、いろいろな物事を見聞きしたり感じたりする現象」とか「はかないこと」「頼みにならないことのたとえ」などとあり、夢に対する反意語は「うつつ」だろう。「うつつ」は「現」でこの世に存在すること、現実、正気、本心などとある(国語辞典・旺文社)。
 近来は「夢」という言葉が持てはやされ、人間は夢を持ってその実現に邁進するのがカッコいいことだ、という解釈がなされている。近着のテレビドラマなどでは、女の子がボーイフレンドに向かって「夢のない人はきらい!」などと宣言している。だが本来「頼みにならないこと」を目標に置かないことがそんなにカッコ悪くて女の子にまで嫌われることなのだろうか。むしろそれが当り前なのではないだろうか。本来なら劇中のボーイフレンドは「私は現実と全力で取組み、確かな成果を挙げたい」と言いたいところなのだろうが、それでは夢?がない、とガールフレンドに一蹴されるのだろう。このように最近の日本では明らかにマイナスイメージの「夢」という言葉がプラスイメージの言葉に転換して使われており、日本語の意味の変化の好例として通用しそうだ。
 こうしてみると「役夫」が「夢」をみるということは、いずれにしても現実味のない話、つまり夢物語なのだというイメージで理解できる。もともと夢は甘いものだ。毎日苦役などの重労働で苦吟している下僕が甘い夢を見るとすれば、それはまぼろしに過ぎない。つまり「欲求不満を夢で補っている」に過ぎない。そしてもし下僕が仕えている主人が逆に役夫となって苦しむ夢を見たとしたら、世の中のバランスがとれるというものだが、さて、主人が欲求不満で下僕になりたいと望むわけはないから、これは単に主人が生理的に夢をみただけの話なのだろう。
 考えてみれば現実(うつつ)の話、生きていく上で主人と下僕とどれだけの差があるというのか。食って寝てセックスして、という動物レベルの話でいえば、主人と下僕にほとんど差などないのだ。ちょっとくらい収入や貯金が多いとしても、豪邸に住んでいるとしても、大勢の召使を使っているとしても、奥方が理想的な貞淑な妻であるとしても、生存するうえで主人と下僕にたいした差があるわけではない。主人が下僕になる夢を見る代わりにお気に入りのグラマー女優と一夜を共にする夢を見るとすれば、これまた「役夫の夢」なのである。なんとなれば、ここでも主人は「欲求不満を夢で補って」いるに過ぎないのだから。いまでは、誰でも自分の夢を実現するためにすべての時間と労力を投入することができるようになった。ならば主人と下僕の差など「人生の栄華は夢のようにはかない」ものではないか。□