tokyokidの書評・論評・日記

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日記201110・チゴイネルワイゼンふたつの演奏

日記201110チゴイネルワイゼンふたつの演奏

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 戦前の話だが、私の親父は出征前サラリーマンをしていた。当時珍しい学士様で、会社でも将来を嘱望されていたそうだが、昭和17年に応召、19年に戦死で帰らぬ人となった。この人が物珍しいモノが好きな人で、当時は家一軒よりも高ったといわれた蓄音機やカメラがゴロゴロしていた。これらは戦後食糧難の時代にわれわれ兄弟の胃袋に納まってしまったのだが、そのレコード・コレクションの中にサラサーテの「チゴイネルワイゼン」があった。ハイフェッツだか誰か有名なバイオリニストの演奏だった。当時のレコードは78回転の SP だったから、音質はいまとは比ぶべくもなかったが、私はこの手回し蓄音機を自分で操作できるのをいいことに、昼間誰もいないときにこのレッコードをかけて繰返し聴いていたものだった。そういえば、戦時中で金属はみな供出となり、竹針を使っていたっけな。読者諸賢は竹針なんてご存知だろうか。

チゴイネルワイゼン」とは「ジプシーの人たちの旋律」という意味だそうだが、きょうは対照的な二つの演奏を聴いていただく。「今が盛りの花の人たち」と「枯れ木も山の賑わい」とは言わないが老練円熟の域に達した人の演奏だ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=-My4X_OBNtI

https://www.youtube.com/watch?v=uGXArQJA3Po

 

 いかがでしたか。私はすっかり「老練」さんの演奏中の鷹の目と、演奏が終わってのすばらしい笑顔に魅せられてしまった。若くて武人もいいが、人生をすっかり盛り込んだ演奏には鬼気迫るものがある。ジプシー音楽の悲しみに満ちた旋律と相まって、人生を全うできなかった親父の生涯と重ね合わせて、私には万感迫る旋律なのだ。□(動画と写真はネットから借用)

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