tokyokidの書評・論評・日記

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書評・小磐梯

tokyokid2007-09-01

書評・★小磐梯(井上靖著)新潮文庫・「楼蘭」所載

【あらすじ】
 本篇は文庫本にして30頁足らずの短篇である。この新潮文庫の題名は著者の代表作のひとつと言われる「楼蘭」となっているが、全部で12篇を納めた「短篇集」ということができる。このなかに収録された本評の対象である「小磐梯」は、明治21年(一九八八)の福島・磐梯山の爆発に材を取った小説である。ときの総理大臣は、伊藤博文から黒田清隆に代わったときで、小説に登場する人物や場面の描写にも、その時代の色が濃く反映されている。
【読みどころ】
 山に起こるかずかずの異変、たとえば「井戸水が涸れる」「山が鳴る」「大量の蛇が目に立つほど人間のそばを移動する」「鳩や雉子ががさがさする」などの現象から始まって、実際に小磐梯が吹き飛ぶ(本篇によると、地元では「ブン抜ケル」という言葉を使う)までのいきさつを、当時偶然山に入った測量技師の目を通して、臨場感豊かに描くことに成功している。たとえば大地が大きく揺れ動いた午前七時四十分ごろに、地元の子どもたちが山に向って「ブン抜ケンダラ、ブン抜ケロ」と叫ぶ場面や、心中するつもりで山に入ったらしい若い男女の二人連れや、山が「ブン抜けた」ときの情景や、そのなかで「紫色の着衣が紙きれのように舞い上がり、泥土の流れの中に落ちて消えた」りする記憶がそれである。主人公の測量技師は「無我夢中で川っぷちを走って高地に逃れた」ので九死に一生を得た。そして「もし走る方向が違っていたら(川に沿って走る)泥土に呑み込まれ、影も形もなくなっていたであろう」と回想するのである。
【ひとこと】
 いまでもJR・磐越西線猪苗代駅付近を通過するとき、山頂のえぐれた(ということは小磐梯が吹き飛んだあとの)磐梯山を見ることができる。昔はこわいものの代名詞は「地震・雷・火事・親父」だった。まして地震を伴う山の崩落は、地震国の日本といえども、世紀になんどの大事件である。だが最近の世相では、こわいものとしての親父は既に死語であり、人の集まるところでの火事は大事に至らない工夫が凝らされた。地平線に昇る積乱雲やその下に入ると当然覚悟しなければならない雷も、すでに遠い昔の記憶とまでは言わないとしても、その回数は劇的に減った。地震だけは、平成の今でも避けて通ることができない。地震の極端な形である「山が吹っ飛ぶ」ことは、そうそうあることではない。だからこそ「こわい」のである。
【それはさておき】
「天災は忘れたころにやってくる」という名言がある。東京でいえば、大正12年(一九二三)の関東大震災からすでに84年が過ぎた。地震国の日本に住む住民としては、そろそろ「備えあれば憂いなし」の状態を心がけねばならないだろう。一庶民の願いとしては、こんど大震災が起こったら、あとの都市計画をどうするかあらかじめ立案しておいてほしい、ということだが、こういうことは「他人の不幸を事前に願うことになるから望ましくない」という日本国民特有のメンタリティが働いて、実現の望みはないだろう。そして焼け跡には「復興の槌音」が音高く響き、短時間でバラックの群れが立ち並ぶことになるのだろう。こういう広域・大規模災害に関しては、個人としてできることは限られており、行政の出番が肝腎なのだが、他国の例でいえば、米国ルイジアナ州ニューオーリンズの台風カトリーナによる被害は、被災後丸二年経ったいまでも復興は遅々として進まず、ブッシュ大統領の政治問題にまで発展している現状なのである。日本の政治家や官僚は、この問題に関して費用を使う以外の肝腎の目的たる防災施策に関してどういう手を打っているか、残念ながら災害が起こらなければわからないのだろう。多分また官僚による「想定外」の続発で、お茶を濁されるだけのような気がする。□