tokyokidの書評・論評・日記

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日記130309・こちらにも金の成る木は・・・

tokyokid2013-03-09

 幕末から日本人でアメリカに移住してきた人たちがいた。そのうちでも、会津から北カリフォルニアにきた「おけい」の話は広く長く現地の日系人・日本人に語り継がれている。最初は出稼ぎのつもりできたが、そのうち日本に帰れない・帰らない人もでてきた。これが後世「一世」と呼ばれた人たちである。題の句は、アメリカに出稼ぎにきた一世の誰かが詠んだものだ。下五は「無いと書き」である。ちなみにいまは五世、六世の時代になっている。二世以降の多くの日系人は、ほとんど日本語の読み書きはできない。日本語の知識としては単語レベル(おむすび、キモノなど)である。「テケツ」「ブッキーピング」など、面白い二世英語の話もあるが、これは別の機会に譲る。
 以下はマンザナ強制収容所の話の続きである。私の筆力では、戦時中のマンザナで何が起ったか、過不足なく著述して読者に伝えることはむずかしい。間違いなく言えることは、そこに強制収容された数万人以上の日系アメリカ人たちは、動物園の動物と同じように、銃を持った番兵と鉄条網に囲まれて数年間閉所に閉じ込められたという事実だけは、断言することができる。当時このような強制収容所は、カリフォルニア州のマンザナのほかにも、内陸の数州にまたがって存在した。
 ここに「北米川柳道しるべ」と題された一冊の本がある。著者は関三脚氏である。氏は南カリフォルニアに住み、本業の写真家に加えて川柳吟社の主宰をつとめ、かたわら日本の民話をモチーフにした英語の童話絵本を書く、という才人である。この人が、戦前・戦後の日米バイリンガル日刊新聞・羅府新報の時事川柳欄を渉猟して作品をこの本にまとめ上げた。ここに収録された川柳句は「戦前」「戦中」「戦後」に分類されているが、このうち「戦中」の、強制収容所内で作られた句をいくつか紹介してみる。
 忘られぬ我が家見返りバスに乗り
 立ち退きに今夜限りの我が家の灯
 立ち退いて模様知らせる先発隊
 どこまでも不運馬臭を嗅がされる
 あきらめて馬屋に静か囲碁の音
 紙くずを拾う仕事も垣の内
 黄白の恋に明るい面会所
 蓄音機編み針が止む李香蘭
 笑う日を忘れ三度の春が経ち
 一万の都市に自動車(くるま)のない不便
 さすがアメリカというべきか、後年レーガン大統領は、戦時中の日系人の強制収容は政府の間違いであったと謝罪し、その際日系人が失った財産にくらべてはるかに少ない金額であったとはいえ、強制収容された各家庭に対して2万ドルほどの金を支払った。
 余談ながら、関三脚氏は私の畏友であり、吟友でもある。私は氏から委嘱されて、氏が書いたこの「北米川柳道しるべ」を日本国内で取り次ぎしている。ご希望の向きは、現金書留で一八〇〇円(送料共・切手代用可)を私あてにお送りくだされば、ただちに発送する。写真は「北米川柳道しるべ」の表紙。