tokyokidの書評・論評・日記

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日記201125・八連隊

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 さきほど亡くなった作家の田辺聖子は、幼少の頃「またも負けたか八連隊、それじゃ勲章くれんたい」とほかのこどもと遊びながら歌っていたという。戦前の話で、八連隊は京都の連隊、、という説明もついていた。戦前はこどもが他家のこどもと集団で遊ぶのは当り前、たいていのことは子供同士で処理していたから、それなりの自律精神も育まれていたわけだ。それがいつの頃からか、多分前回の東京オリンピックのあった昭和 391964)年頃から後の話であったと思われるが、経済の高度成長期に当り、子供の数も少なくなり、子供の遊び場であった近所の空地も次々とつぶされて住宅が立ち並んでいった頃以降のことだったが、だんだん子供を甘やかす風潮が出来上がった。こうして日本の子供は遊び場を失くしていったと同時に家庭内に閉じこもるようになり、友達に教わった言葉を覚える機会も失っていった。マッカーサーの愚民政策、それに乗った一部の文部官僚の日本文化軽視政策が相乗効果を発揮してたった2千字の当用漢字制度や国語軽視政策が今日の日本語もできない小学生に外国語である英語を教えるなどという教育の迷走ぶりを発揮することになった。まさに亡国の兆である。

 人間の能力はバカにしたものではない。乳幼児のとき無心に歌っていた歌の文句は知らなくても、その子の頭にはちゃんと単語が収まっている。先ほどの「八連隊」がそうだ。田辺聖子は女の子。それでも死ぬまで八連隊の歌も忘れなかった。意味はあとからついてきたのである。マッカーサーの愚民政策なぞに踊らされることはないのだ。この辺で戦後の誤った政策を改めないと、これからの日本人がバカを見ることになるぞ。小学生には英語を教えるのを止めて日本語を教えるべきだ。そして自分の意見を人前でまとめて言えるように教育するときだ。そうでないと国際感覚を備えた日本人はいつまで経っても育成されないだろう。□(写真はネットから借用)

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