tokyokidの書評・論評・日記

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日記131001・蕎麦の砂場

tokyokid2013-10-01

 日本の蕎麦屋は「砂場系」と「更科系」があって、どこがどう違うかという講釈を蕎麦通の友人に聞いたことがある。だがこちとらは、どうせそれほど凝る必要も気もなくて、行き当たりばったりの店に飛び込んで蕎麦を食わせてもらい、うまければまた行くが不味ければ二度と行かないという、至極単純明快な蕎麦ファンなのである。
 写真は都心の蕎麦屋で屋号が「砂場」。諸賢も「砂場」なる蕎麦屋はあちこちで見ておられるだろうから、いまさら取り立てて珍しい屋号でもない。でもなんで「砂場」なる名前が蕎麦屋についたか、ご存じであるか。砂場なら子供の遊び場だろうに。
 商売としての蕎麦屋が登場するのは江戸時代のことだが、その嚆矢が家康の大阪城攻めのときにあるのだそうだ。家康が奸計をもって大阪城の外堀を埋め立てたことは有名だ。家康は急ぎに急いで周囲の民家をこわさせ、その瓦や木材などを次々と外堀に投げ込ませた。そのときの重労働に働いた人々が、その場で食事を摂ることができるように、現場の砂場に急ごしらえの蕎麦所を作ってそれらの人足に食わせたらしい。それ以来の伝統ある蕎麦屋ということを表すために「砂場」なる屋号をつけたという。もちろんその後のれん分けその他で、「砂場」の数が増えたことはいうまでもなかろう。開いてみればこれいかに。いまの駅のプラットホームの立ち食い蕎麦屋は、すでに江戸時代初期に登場していたのでござる。客が人足かサラリーマンかの違いだけでござるな。
 はて、「更科」はなんで「更科」だったかな。あれも蕎麦屋の有名ブランドなんだが、忘れた。