tokyokidの書評・論評・日記

tokyokid の書評・論評・日記などの記事を、主題に対する主観を明らかにしつつ、奥行きに富んだ内容のブログにしたい。

書評・明治の東京生活

tokyokid2007-05-09

書評・★明治の東京生活(小林重喜著)角川選書

【あらすじ】
 副題には「女性の書いた明治の日記」とあり、また「明治のサラリーマンの家庭の日常」ともある。後世からみて、昔の世のこまごまとした日常生活は、なかなか記録に残りにくいので、日本人の記録好きにもかかわらず、この種の書物はどこにでもころがっているわけではない。日記をつけたのは、小林信子。その息子の小林重喜がこの本の著者である。この日記帖は小林家に伝わる柳行李のなかから見つかり、半紙を和とじにして、毛筆の細字がギッシリと書き込まれてあったという。信子は明治三十九年、三十三歳で世を去った。当時の小林家の主人、小林安之助は東京・赤坂(港区)に住み、京橋(千代田区)にあった会社に人力車で通う日々であった。日記が書かれた期間は、明治三十一年(一八九八)六月から同三十二年(一八九九)七月までの約一年間であった。原文は旧字・旧かなであるが、現代人が読みやすいように著者が手を入れてある。構成は信子の「日記」と、必要に応じてしばしば挿入される重喜の「コメント・解説」を織りなしてあり、非常に読みやすい。
【読みどころ】
 家庭の主婦がつけた日記であるから、家族・使用人の動静や、日常の食事や買物などがこまごまと書かれてある。主婦であるからして、もちろんおカネ、すなわち値段のことを書くのも忘れていない。この本によって平成に生きるわれわれは、日清戦争直後にあたる明治三十一年ごろの物価を知ることができる。主人の月給が五十円、赤坂の借家の家賃が十二円、会社の景気がよくてもらう臨時ボーナスがなんと三十個月分・千五百円。そのボーナスのうち六百五十円を投じて、小林家は同じ赤坂で百五十坪の土地に二階家の建っている地所を買って転居している、という具合だ。日常の生活必需品の値段は、明治の当時は当然のことながら、円ではなく銭の単位が使われている。蕎麦屋のもり・かけ二銭、あんころ餅もぼた餅も二銭、はがき一銭五厘、封書三銭、それでいて石鹸一個が十二銭もして、庶民にはなかなか手が出しにくかった、とある。日記前半は借家時代のことであるが、いちばん簡単に記してある日をとりあげてみよう。
(以下引用)
九月二日、辰の日、金曜日、旧七月十七日、晴
午前五時起き、七時食事、旦那様ご出勤。今日、箪笥の虫干し致す。夕、一同、一ツ木に氷のみに参る。十時引。
(以上引用)
 前日が雨とあるから、この日の晴れ間を利用して箪笥の虫干しをしたのだろう。夕方家族が打ち揃って近くの一ツ木の商店街(この通りはいまでもある)に、氷を飲みに行っている。明治の夏の夕方の情景である。そして十時に就寝とある。当時の一家の主人は、妻から「旦那様」と呼ばれ、いまどきの夫が家事の手伝いをしないといってふくれる妻の図からは想像もできないことに違いない(もちろんその代りに、夫が妻子を養う義務を放棄することなぞは、想像の外でもあった)。でもこの情景は少なくとも戦中まで、場所と場合によっては戦後もしばらくの間は、ずっと続いていたといえる。これで思い出すのは、評者が社会人になった昭和三十四年(一九五九)四月のことだ。初出勤をする長男の私を玄関で見送った母が、式台に三つ指を突いて、私を送り出してくれた。父親はすでに戦死していたから、母親にしてみれば、長男の私が家督を継いで当主になった、という気分だったのだろう。ちなみに、評者は、昭和三十九年(一九六四)の東京オリンピックまでは、東京といえどもまだまだ明治の香りがあちこちに残っていたし、おなじように、大正十二年(一九二三)の関東大震災までは、江戸の香りが濃厚に残っていたものと推察している。
【ひとこと】
 日記に描かれている明治三十年ごろには、サラリーマンという階層に属する人は、まだまだ少なかったように思われる。それだけにこの日記の「小林家」は、現今のサラリーマンを社会の中堅とすれば、当時の社会の上層部を占めるエリートだったに違いない。それでなければ、千五百円の臨時ボーナスをもらうこともなければ、その半分以下の金額で、いまも赤坂・青山通りにある羊羹の老舗・虎屋の向かいに、百五十坪の二階建て家屋付きの地所を買えるわけがない。本書によれば、日記を残した小林信子は雲州松江の松平藩最後の城代家老・村上勝之輔の娘、とあり、主人の小林安之助は東京府士族であったというから、同じような身分同士の縁組であったのだろう。牢固とした身分制度が残っていた明治時代の話である。いまからは「封建的」のひとことで片付けられることの多い当時の家族の模様が、核家族となってバラバラになってしまった現在と引き比べてどちらがよかったか、どちらが安定していたか、犯罪が少なかったか、よくよく評価しなおす必要があるのではないか。
【それはさておき】
 本書の著者・小林重喜は明治三十二年(一八九九)東京生れ。千葉医学専門学校(現在の千葉大学)薬学科を卒業。大手製薬会社の役員を務めた。戦時中島根県疎開し、薬局を経営し、平成二年(一九九〇)没。昭和の時代に、
★降る雪や明治は遠くなりにけり
とうたったのは中村草田男だったが、平成のいまから見れば、明治は既に歴史の彼方にあるのだろう。蛇足を付け加えれば、江戸期のサラリーマン武士の日常生活を知りたければ、「元禄御畳奉行の日記」神坂次郎著・中公新書を読まれることをお勧めする。当時の世相を読みとることができる。(注・本書評では取り上げない)□