tokyokidの書評・論評・日記

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論評・EWJ「四字熟語」コラム・軽挙妄動

tokyokid2011-06-15

(九)「軽挙妄動」(けいきょもうどう)
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「軽挙妄動」は軽々しく動き、みだりに行動することを言う。ことの重大性を深く考えることをせず、右往左往することだ。出典は紅楼夢。類語として「軽率」「付和雷同」などがあり、反語としては「泰然自若」「和して同ぜず」などがある。漢字の意味からいえば、「軽挙」の「軽」は文字通り「軽い」ことであるが、「挙」は「挙げる」で「挙動」の「挙」と同じ。この場合の意味は「軽く考えてとりおこなう」ことであろう。「妄動」のほうの「妄」は訓では「妄り・みだり」となり、意味は「思慮の浅いこと」「秩序のないこと」「筋道の立たないこと」となる。「動」は「動く」ことだから、「挙」と並んで「実行する」意味だろう。つまりは前述のとおり「軽々しく動き、みだりに行動する」ことを「軽挙妄動」という。
 これで連想されるのは「重厚長大」「軽薄短小」というふたつの熟語だ。このふたつの四字熟語は、戦後日本の工業化が進み、最初は国家の庇護のもとに鉄鋼業や化学工業などの「重厚長大」型工業が発達したが、やがて「小型で軽い」半導体やコンピュータなどの電子・電機製品や半製品の生産が盛んになるにつれて、重厚長大型の工業と比較されてそれらが「軽薄短小」型工業と持てはやされるようになったときに使われた。もちろん日本ではすでに重厚長大型産業の典型である素材産業が発達していたからこそ、次の電子部品や部品を組み合わせたコンポーネントやその関連の「軽薄短小」産業が興ってきた、ということができる。
 面白いことに、一昔前までのラテン系やアングロサクソン系の国ではなんでも「大きいことがいいこと」だったのだ。家の建物しかり、自動車しかり、ステレオ受信機しかり、冷蔵庫しかり、そのほかたいていの耐久消費財がこの法則に当てはまる。ところが日本はソニートランジスタ・ラジオに代表されるとおり、それまでは図体の大きいものだった製品群を小さく設計しなおし、さらに機能を追加・充実させ、そのうえに日本お家芸の品質管理を徹底して故障しない「小さいことがいいこと」の製品群を世界の市場に向かって発売・証明した。製品を小さく・軽くすれば、その分材料費を節約でき、運賃も格安となる。その結果、たとえば腕時計は置時計や掛け時計よりもはるかに高価だったものがとっくに昔話となり、いまは秒単位で正確に時を刻むクォーツ腕時計の安いものは、置時計よりも安価なものがいくらでも出回る時代になった。だが重厚長大軽薄短小に変えるために日本の工業に携わる人々は、戦後の長期間にわたって、高度の機能を実現するための研究開発の競争に打ち勝ち、よいものを安く生産するための生産管理技術や品質管理技術を磨き、コストを下げて迅速に顧客の要求に応えられるように在庫管理技術や物流管理技術を血の出る思いで改善しなければならなかった。そのためには研究技術者、開発技術者、生産技術者、品質技術者から製品の運搬に当たるトラック・ドライバーに至るまで、腰(尻ではない)を軽く、必要なところへはどこにでも行って、情報や設備や原材料や新技術をそれこそ世界の隅々まで出向いて探してこなくてはならない時期が長くつづいた。つまりある意味で「軽挙」が日本人のすぐれた特性になった。
 それが「妄動」にならなかったのは、「お客様は神様」という認識に裏打ちされた産業界全体の「お客様に満足してもらうことが一番重要」という明確な目的意識があったからだ。すくなくともバブルがはじける一九九〇年ころまでは「軽く動いた」が「みだりに」ではなかったのだ。□