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論評・羅府新報「磁針」コラム・日本製腕時計その後【090528掲載原稿

tokyokid2009-08-08

題名・日本製腕時計その後
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 一九九八年九月二六日付本欄に筆者の「発電所付き腕時計」が掲載された。記事の腕時計は一九九四年ごろ購入した日本製のもので、その後足かけ15年以上にわたってずっと正確な時を刻んでいたが、今年に入ってその活動を停止した。その間部品の交換も修理もせず、「発電所イコール充電器付き」だから構造上必要のない電池の交換もせずに、つまりまったくテマヒマをかけることなしに長期間休みなく働いてくれた。
 購入当時は(ボタン電池不要の)充電器やソーラー電池がついた新型の腕時計が出回り始めたころでまだまだ価格が高く、3万円ほど払って購入した記憶がある。そのときはたしか従来のボタン電池型のものであれば1万円台で買えたから当時としては高い買物だったが、その後15年もの間追加投資なしで休みなしに働いて正確な時を教えてくれ続けたので、コストは毎日6円足らずで済んだ。結果として機能・性能は充分でよい安い買物だったと思える。いまならこの型の腕時計は1万円ほどで買える。
 戦前はとかく安かろう悪かろうの評判が絶えなかった日本製品だったが、戦後はしっかり技術の定石を守って品質がよく、価格も安い製品を大量に世界に供給し続けてきた。そこには江戸時代から続いた「職人芸」がずっと息づいている。そして日本の職人が世界でも類例のない快挙を成し遂げたのは、その「職人芸」を「機械を生産する機械」に立派に転移したことだ。ほんの一例として世界の先端を走る「ロボット」を挙げることができる。この「発電所付き腕時計」だって機械を使って作られた製品に違いないが、それは正確で丈夫に長期間「修理もメンテナンスも要らず」に動き続けた。いま「職人」は「技術者」と呼ばれるが、創意工夫で日本の製品をここまで高めたこの人たちに最高の敬意を払うのにやぶさかではない。
 15年にわたって完璧に働き続けて止まってしまった腕時計は、次回日本に行ったときに多少高くついたとしても修理して、再び使おうと思っている。 (木村敏和)
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