tokyokidの書評・論評・日記

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書評・日本アイ・ビー・エム50年史

tokyokid2008-05-08

書評・日本アイ・ビー・エム50年史(日本アイ・ビー・エム株式会社・発行)財団法人日本経営史研究所・企画・発行

【あらすじ】
 まずお断りしておかなければならないことは、本書評の底本となった「日本アイ・ビー・エム(以下IBM)50年史(非売品)」は、在日現地法人であるところの「日本IBM社」の社史であって、同社からみれば本家に当るところのアメリカにあるIBM本社の社史ではない、ということだ。もちろん本書中に本家に関する記述はたくさんでてくる。この日本IBM50年史は、いまから20年前の昭和63年(一九八八)の発行。全部で3冊組という社史には珍しい構成で、当の「50年史」のほかに「コンピューター発達史」「情報処理産業年表」の2冊がつく。まず「日本IBM50年史」は五八〇頁になんなんとする大冊で、次の9章からなる。
序章・創立前史(〜昭和11年
第一章・日本ワットソン統計会計機械株式会社と創業時代(昭和12年〜20年)
第二章・日本IBMの再出発(昭和20年〜32年)
第三章・コンピューター事業の展開(昭和33年〜39年)
第四章・システム/360の登場と情報革命(昭和39年〜44年)
第五章・システム/370と情報化社会の探求(昭和45年〜49年)
第六章・低経済成長下の経営革新とコンピューター(昭和50年〜55年)
第七章・コンピューターの大衆化と情報化社会(昭和56年〜62年)
統計・資料・年表
 上記の各章の時代区分が、日本史上例を見ない大変動の時代であった「昭和」の時代を通じて、いかに日本社会の大変動の年期とみごとに連動していることか。すなわち昭和20年(一九四五)は日本の敗戦の年であり、昭和33年(一九五八)は日本が高度経済成長の波に乗り始めた時期であり、昭和39年(一九六四)はその経済成長のひとつのエポック・東京オリンピック開催の年であり、昭和50年(一九七五)はベトナム戦争が終り日本では新幹線が九州の博多まで伸びた年であり、昭和62年(一九八七)は旧国鉄が分割されて民営化され、いまのJRになってそろそろ経済の高度成長がどんづまりにさしかかった頃であった。結果として日本IBMの社業も、日本社会の進歩に合わせる形でその進展がくくられたことが、この各章の時代区分からも読み取ることができる。察するに(日本IBM社はアメリカ本社の血を直接引くだけに)社会の変革に即応できる体制構築能力を、その企業DNAとして持っているのだろう。
 「コンピューター発達史」は・・・・・
第一章・システム・アーキテクチャーとその実現
第二章・ソフトウエア・テクノロジーの進展
第三章・素子の開発と製造技術
第四章・磁気記録技術
第五章・印刷技術
第六章・最近のコンピューターの発展
索引・・・・・となっており、コンピューターのハードウエア(機械部分)とソフトウエア(機械を動かすためのプログラムそのほかの機械以外の部分)の発達の歴史を豊富な写真や図版を入れて、三百頁余を費やして、わかりやすく説明している。
 「情報処理産業年表」は、全篇が「年表」であり、「資料」や「索引」を入れて、これだけでも三百六十頁を越す。これまた豊富な写真と図版や表を使い、西暦一六四二年の「パスカル、最初の機械式加算機を試作」から始まって、コンピューター・メーカーの同業者、汎用コンピューター(メインフレーム)の稼動状況、情報サービス団体、ICなどの部品、電卓から国の法律や関係団体による提言に至るまでを全面的に網羅して記述は詳細を極める。これだけでかつて「電子計算機」と呼ばれたコンピューター「産業」の位置付けを「年表」の形で完全にカバーしている労作である。
【読みどころ】
 機械式は別として、電子式のいわゆる「電子計算機=コンピューター」の歴史は、イコール「IBM社」の歴史でもある。それほどにこの会社がコンピューターという特定の製品に果たした役割は大きい。だからこの「日本IBM50年史」を読むことにより、読者は「コンピューター」に関するすべての歴史を学ぶことになる、と言っても過言ではない。ただこの社史は昭和63年(一九八八)に発行されたものであり、そのタイミングからして、ここで記述される「コンピューター」は主として「汎用コンピューター=メインフレーム」を指しており、その後世界中に爆発的に普及した「パーソナル・コンピューター(パソコン)」には言及していない。この社史の発行時には、まだアップル社の「初代パソコン・アップル」は世に出ておらず、マイクロソフト社が米国IBM社のパソコン向けに開発した「基本ソフト・(OS)」の新製品・ウインドウズ95が市販されるのも7年ほど後のことになる。これをみても、最近の15年間ほどでパソコンがいかに爆発的な普及を遂げたか、換言すればいかに全世界的な社会現象であったかを知ることができる。繰り返すが、ただしその「パソコン」に関しては、この社史は触れていない。
【ひとこと】 
 一般的に見れば、コンピューターはただの道具である。それ自体人間の代りを務めることもできなければ、まったく新しい概念を創造することもできない。ではコンピューターはいったいなにをするのか。それを極端に言い切ってしまえば、1秒間に何億回の人間業では到底成し得ない高速で演算をすることと、いちどその記憶装置にデータを記憶させてしまえば機械は絶対にそれを忘れない、という2点だけのことなのだ。でも現実には、その2点で、コンピューターは短時日の間に人間の生活をガラリと変えてしまった。平成20年(二〇〇八)のこんにち、パソコンでインターネットを検索しない人、または携帯電話(=ケータイ)を使わない人はもはや少数派であろう。人間の業としては絶対に成し得ない上述の2点だけの特長で、コンピューターはもはや人間の生活にしっかり入り込んでしまったのであり、その基礎を作ったのは「IBM」社だったのである。
【それはさておき】
 道具として大事なことは、ユーザーとしての人間にとって「使い易い」道具である、ということだ。その点コンピューターは、いまのところ誰にでも使い易い、使い勝手のいい機械だということはできない。いまから半世紀前、当時の保険や自動車などの大企業では冷房の効いたビルの広い部屋をいっぱいに使って、既にメインフレームと呼ばれた大型のコンピューター群を具えていた。そのような企業の電算室(当時はコンピューター室をこのように呼んだ)では、2人の女子社員が並んでパンチカードと呼ばれる入力用のカードを流れるように作成し、機械を操作し、作表する手順を見学させてもらって、仕事の手順さえ決めれば、そろばんと帳簿を使った手作業とは比較にならない短時間のうちにしかも正確に作業が進められるさまを溜息交じりに眺めたものだった。でもそれから半世紀が経ってみれば、いまどき机の上に載せられる「デスクトップ・パソコン」でも、当時のビル1階分の面積を必要としたメインフレーム以上の演算と記憶の能力を持つに至った。あらためて人間の知恵に感嘆せざるを得ない。アメリカでも日本でも、「IBM社」は、人間と機械をつなぐ環境に配慮する会社として知られる。ウインドウズ95が発売されてからでも13年経つパソコンだが、その使い勝手の悪さをまだ充分に克服できていないのが現状だ。「日本IBM社」がこの社史で業界用語の「コンピュータ」ではなく、きちんとした日本語表記の「コンピューター」を使用していることを見ても、この企業の余裕と先進性を認めることができる。社史としても産業史としても、コンピューターの歴史に関してこれほど有意義な出版物は類を見ない。□