tokyokidの書評・論評・日記

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書評・川柳200年

tokyokid2009-06-18

書評・★川柳200年(川上三太郎著)読売新聞社

【あらすじ】
 この本は昭和41年(1966)に初版第1刷が発行され、当書評の底本は同年の第2刷である。著者の川上三太郎(明治24〜昭和43・1891〜1968)は大正・昭和期の川柳作家として有名であるが、同時に川柳研究家であり、雑誌「川柳研究」を刊行して後進の育成に努めた人である。戦後長年にわたって読売新聞の「時事川柳」欄の担当であった。この本で著者は、有史以来の川柳の系譜を概観しながら、川柳とはどういうものかを解説した。つまりこの本を読めば、川柳を形成した「人物」「歴史」「資料」を概観できるのみならず、「作品」「作法」「評価」についても得るところが大きいところにその価値と特長がある。著者が晩年に著述した川柳初心者向けの気の置けない手軽な、そのくせ内容の濃い「川柳の歴史を200年にわたって概観した」川柳入門書ということができる。
【読みどころ】
 内容はまず「序文にかえて」で「川柳とはどういうものか」を4頁にわたって解説している。さすが明治生れの著者が戦後昭和中期に書いた文章らしく、端正に仕上がっている。とくに川柳を簡短に解説してみせたくだりでは「すなわち川柳とは十七音を原則とした一行詩で、人間またはその生活を主題とし、ときに必要あれば自然をして伴奏せしむ・・・これでいい」と喝破した。この見方については後述するが、さらに引用する句や作品のかなづかい・半音については、時代や原作・自作の区分に応じてそれぞれ「新かなづかいで半音を使う」「旧かなづかいで半音を使わない」に分けたのは、著者の大親切というべきだろう。戦前の文学作品が、戦後新かなづかいに改訂されて出版され、原典・原著の旧かなづかいの興趣が著しく削がれる(というよりは原作をこなごなに打ち砕くと言っても過言ではないほどの)事例は文学と詩歌を問わず枚挙に遑がないが、この本はこの著者の大親切のおかげで、上述のように文章表現を整理することによって、その弊害を免れている。あとは「第一部・川柳の年輪」で時代を「昭和」「江戸」「明治」「大正」に分けて作品の鑑賞を行い、「第二部・川柳は生きている」で残された川柳の時代背景とその作者や作句の心理状態を論じ、「第三部・あの日あのころ」で著者の川柳とのかかわりを興味深い筆致で振り返っている。このなかで、「鳴門秘帖」「宮本武蔵」「新・平家物語」などで国民的小説家とうたわれた吉川英治(明治25〜昭和37・1892〜1962)の川柳とのかかわりあいや挿話などの、非常に興味深い話も記述されている。
【ひとこと】
 著者の川上三太郎は川柳作家で、しかも戦後昭和25年(1950)に「戦前から続く言論封鎖の幕が取り除かれた」読売新聞が「時事川柳」を新機軸として取り上げ、スタートしたと記述している(222頁)。面白いのは日本で最初に「時事川柳」を新聞で取り上げたのは「銭形平次捕物控」の著者で戦前報知新聞の社会部長をつとめ、音楽評論では「あらえびす」の号を持つ野村胡堂(明治15〜昭和38・1882〜1963)であったことだ。野村胡堂の「胡堂百話」(中公文庫)によると、胡堂が「柳樽」を愛読し、思いついて読者から川柳を募って新聞紙上で発表したらどうかという発案を実行に移したのが大正6年(1917)のことであった、と回想している(同書149頁)。そのときですら社内から「川柳のようなあんな古いものを載せても読者が喜ぶだろうか」という疑問の声が出たがやってみたら大盛況であった、と胡堂は回顧している。野村胡堂と川上三太郎とでは、胡堂が十歳ほど年上であったにせよいわば同時代の人で、しかも川上三太郎も読売新聞に関係していた人だったからこのことを知らないはずはないと思われるが、この本では野村胡堂と彼の時事川柳に関しては一切触れられていない。余談ながら、野村胡堂がかかわっていた報知新聞は戦中の新聞統合を経て戦後読売新聞に買収され、いまでは読売系のスポーツ紙としてその命脈を保っているが、その歴史を辿れば、遠く明治5年(1872)発刊の郵便報知新聞にさかのぼる。この新聞は明治・大正期に「東京五大新聞」に名を連ねていたほどの当時の大新聞であった。昭和に入ってからは凋落の一途を辿ることになるが、野村胡堂自身は戦後のこの買収時まで報知新聞の顧問をつとめていたと伝えられる。やはり「両雄並び立たず」ということか。
【それはさておき】
 川柳は俳句や和歌に較べて一段と下位に見られ勝ちな文芸であるが、それはその人の思想と判断によるであろう。著者の川上三太郎はこの本の208頁で・・・・・
川柳が
世に
みとめられていない
という人のあらかたは
なんらそれに
努めることなく
他にのみきびしく
おのれに寛容である(三太郎単語)
・・・・と記している。けだし名言である。
【蛇足1】
 前述の川上三太郎の簡短な川柳についての「定義」にはひとつの重大な欠けがあると思われる。同じく川柳についてよく読まれる本に岩波文庫の柳多留名句選(上・下)、山澤英雄選・粕谷宏紀校注があるが、この本では「川柳の四要素」として「滑稽」「穿ち」「軽み」「諷刺」を挙げている。そう、川柳にはこっけい味が重視されるのだ。つまり川柳には一読して読者をニヤリとさせるものが求められる。いったいどうしてこの視点が川柳の達人であった川上三太郎から抜け落ちてしまったのだろうか。
【蛇足2】
 最近新聞・雑誌などで定期的に川柳を取り上げる媒体が増えてきた。そのこと自体はこの暗いニュースの多い現代にあって喜ぶべきことかも知れないが、問題もある。昭和31年(1956)以来毎年「全国川柳作家年鑑」を発行している「ふあうすと川柳社」では、昨年の「第53回・2008年版」の131ページに東大阪市の北垣咲也氏の「狂句百年の後患い」と称するコラムを掲げている。これが問題の本質を鋭く突いている。ふあうすと川柳社と北垣咲也氏の同意を得てその全文を引用してみる。
<以下引用>
 狂句百年の後患い・東大阪市・北垣咲也
 近頃の川柳はさっぱり面白くないという。では俳句はと問えば、同じような言葉が返ってくる。何故かとなると、はっきり答えが出てこない。私流に簡潔に解くなれば、「川柳らしくない」又は「川柳の良さが感じられない」とでも言えようか。現在の俳句も又同様の言葉が囁かれている。「面白くない」と言えば、他の文学全般も、映画や小説なども同様だ。何故なのか? 理屈っぽくて、描写の説明やストーリーの報告ばかり目立つのか、お判りでしょうか。例えば川柳分野を採り上げると、極一部を除いた各雑誌等の募集句とか、サラリーマン的なものなど、一般大衆本位のものすべてが、編集部選とか、いっぱしの選者顔してズブの素人選が多くて、迎合的御都合主義に基づく、狂句まがいの似非川柳が大半を占めているのだ。専門的な柳社とかグループによる潮流も、殆どが、理論に溺れた良く言えば尖端的、悪く言えば標語や日記報告型の句ばかりが矢鱈と目につく。では一体どのようなものが望ましいのか。敢えて今手許の「柳多留」の中から抽出してみた。
 ねこのめし入れ添えて遣る花さかり(弐篇)
 草市ではかなきものをね切りつめ(参篇)
 永劫不変の人の情を主流にした醍醐味は、川柳ならではの感が深い。二百数十年前の代表句が、今尚現代に脈々として生き続けているのである。これが端的に言って「川柳の面白さ」なのだと思う。古ぼけて黴の生えた理論の蒸し返しのようで、実は金科玉条なのである。俳句の例を引いて失礼だが・・・・・
 「更衣鼻たれ餓鬼のよく育つ(石橋秀郎)」
 「洗ふ墓あたたかなればためらひぬ(吐天)」
 内容的に川柳の範疇に属するものだ。季語があるというだけで俳句だと言うのは烏滸がましい。川柳も季の中に暮して、文語体ほかも作る。要するに質と味の問題なのだと思う。
 以上舌足らずで、隔靴掻痒の感大いにあるが、「狂句百年の後患い」を自認して終る。
<以上引用>
 上述の北垣咲也氏の論点は、たとえば先年亡くなったがその選評に定評のあった川柳選者・時実新子と、最近の新聞雑誌に現れる有象無象の選者によるコメントを読み比べてみれば一目瞭然であろう。評者も北垣咲也氏の見方におおいに賛同する者である。□