tokyokidの書評・論評・日記

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書評・昭和史全記録

tokyokid2008-01-01

書評・★昭和史全記録・毎日新聞社(編集人・西井一夫)

【年鑑とは】
 本書評にとりあげた毎日新聞社の「昭和史全記録」は、一種の「年鑑」ということができよう。ここには昭和元年(一九二六)から昭和64年(一九八九)までの、毎日新聞社によるところの「昭和時代の全記録」が載っている「大年鑑」なのである。この「昭和史全記録」は、建国以来日本が外国と戦って初めて敗れた第二次世界大戦期の記録が、一冊の年鑑形式として、残されているところが貴重なのである。本書の「はじめに」には、「昭和という時代を、月ごとのクロニクル(=年代順=年鑑)方式によって、可能な限り丸ごととらえよう」と編集された、とある。平たくいえば、日本史上でも64年間にもわたる異例に長かった昭和期の毎月の新聞から抜粋された記事や写真の集積である、ということができよう。
【あるべきよう】
 人により意見が異なるだろうが、日本史上「外国が係った」ところの3大事件といえば、評者なら「3世紀後半といわれる大和政権の成立」「明治期の日清・日露両戦役の勝利」「昭和期の第二次世界大戦(太平洋戦争)の敗北」の3点を挙げる。毎日配達される新聞紙は日常の生活のなかで廃棄されてしまうのが通常の状態であるから、人の記憶にある時代相を、こうして「昭和」という時代を区切って年鑑の形で提供し、その人の記憶と照合するところに大きな意味がある。ただし後述するように、この「年鑑」に掲載された記事の内容については、その基となった当時の新聞の記事についてと同様の、見過ごすことのできない重大な問題を意識せざるを得ない。
【使ってみれば】 
 さすが新聞社の年鑑だけあって、新聞記事に現れたところをうまく取り込んで、読者が読み易い年鑑の形に整えてある点はさすがである。だが忘れてならないのは、(既に昭和に先立つ明治・大正時代から続いていた事実であるところの)当時の為政者による偏向した取材の結果をそのまま流用しているのも事実で、したがってこの「昭和史全記録」の記事も、当時の行政府当局の束縛から逃れることはできていない。新聞は「報道」と「論説」に分けて考えることができる、というのが評者の考えだが、この両者にわたって、昭和当時(に掲載されたところ)の新聞記事には、事実関係の掲載記事の選択からして、当時の行政府当局による報道管制や思想統制によって、すでに極端に度の強いフィルターがかかってしまっていたのは、いまとなっては日本社会周知の事実である。その点をよくよくわきまえて使うなら、あの激動の時代であった「昭和の64年間」を振り返るのに、これほど適当な「クロニクル=年代記」はない。
【それはさておき】
 現在は平成の世も20年まですすんで平成生れの有権者の出現もまぢかとなった。昭和の時代には「明治は遠くなりにけり」と謳われたものだったが、平成のいまでは「昭和も遠くなりにけり」といわざるを得ない。現在の生存者で明治末年の明治45年生れの人がいたとしてもすでに96歳、大正末年の大正15年生れでも82歳である。人間の世代でも、3代も世代交代すれば、昔の記憶が薄れるのもやむを得まい。だからこそこの種の年鑑が必要な理由がある。ひとつ蛇足を付け加えれば、記録好きの日本人は、昭和の時代が終るや否や、この種の昭和を(通期で)振り返る年鑑が各社でただちに企画され、新聞社からのみならず出版社系のものも、おびただしい数が出版された。それはそれでいいのだが、その内容は、前項に説明した「フィルター越し」にみた世相の記録であることを忘れてはならない。これは将来同じ過ちを繰り返さないための、最小限必要な必須課目なのである。読者はつねに、昭和の時代に戦争で失われた兵隊や銃後の一般市民のことを思い出しながらこの年鑑を読むべきなのだ。□