tokyokidの書評・論評・日記

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書評・鉄道旅行のたのしみ

tokyokid2007-05-25

書評・★鉄道旅行のたのしみ(宮脇俊三著)集英社文庫

【あらすじ】
 子どもはだれでも電車や列車などの鉄道乗物が好きだ。大人になっても鉄道が好き、という人も多いだろう。本書は連載された記事をまとめたもので、前半の「鉄道旅行のたのしみ」は昭和五六年(一九八一)から翌年にかけて小学館版「全線全駅鉄道の旅」に、後半の「駅は見ている」は昭和五八年(一九八三)から翌年にかけて同じく小学館版「国鉄全線全駅各駅停車」に連載された、と著者は「あとがき」に記している。その後開通した新幹線や、廃線になった在来線もあり、なにより国鉄の民営化という大変化もあり、平成十九年(二〇〇七)の今日から見れば、本書が書かれてから後に、日本の鉄道には大きな大きな変化があった。「鉄道旅行のたのしみ」は、全国を地域別に分け、さらに東日本と西日本の私鉄の記事も加えて十二章にまとめてある。後半の「駅は見ている」は、名古屋、新宿、天王寺、高松、直方、米子、塩尻、青森、新庄、岩見沢の各駅のルポである。
【読みどころ】
 時刻表マニアの著者は、私ども一般読者に意外な事実を教えてくれる。著者によると、東海道線(在来線)が開通したのが明治二十二年(一八八九)のことであったが、このとき新橋⇒神戸間に20時間と5分かかっている、という。いま同じ区間を新幹線ひかりで新神戸までいくとすると3時間17分、もはや直通列車のなくなってしまった在来線の東海道線で途中何回か乗り換えながら東京⇒神戸間をいくとすると、乗り換えのための待ち時間を入れても10時間31分ほどでいくのである。つまり明治の世にくらべると、平成のいまは途中何回か乗り換えてそのたびに待ち時間があっても、朝一番の東海道在来線で5時20分に東京駅を出れば、午後の15時51分には神戸の駅についてしまう。つまりは在来線の鈍行で東京から神戸まで行っても、十時間半くらいしかかからない。実際に東京から神戸まで行くいまの人で、このルートを選択する人はまずいないだろうから、こういうことは知的な遊びに属することなのだ。しかしこんなことは面白くもなんともない、という人は、本書には用のない人なのである。あと路線が複雑にからみ合う北九州の旧炭鉱地帯で、合法的に最低運賃でなんと二七五キロも乗れる方法などが書かれている。ふだん日常の用以外に鉄道にとくに関心のない評者のような者にとっては、意外の新知識である。こういう時刻表マニアならではの知識に加えて、著者の深い歴史や人文地理の造詣知識による裏づけをたっぷりまぶして書いた素人向けの読物が、この「鉄道旅行のたのしみ」なのである。
【ひとこと】
 著者の宮脇俊三は昭和元年(一九二六)生れ、平成十五年(二〇〇三)没。中央公論社の常務取締役であった。婦人公論の編集長も務めた。著者の父親の宮脇長吉は国会議員で、戦前の「黙れ長吉」事件の(怒鳴られたほうの)主人公として知られる。著者はのちに鉄道紀行作家として日本ノンフィクション賞、新評賞などを受賞した。この「鉄道旅行のたのしみ」は、全集には収録されているが単行本としては発行されておらず、文庫本のみの出版だと著者のあとがきにある。著者は著書のあちこちで「自分は時刻表マニアだ」と自認しており、子どもの頃から部厚い時刻表をめくるのがなによりの楽しみであったようだ。長ずるに及んで、最初は父親に連れられて実物の汽車に乗るようになり、現役を退いて作家に専念するようになってからは、主として国内外にわたる鉄道の紀行記事を書いた。著者の著作としてはむしろ「時刻表2万キロ」「時刻表昭和史」が代表作と見なされることが多いと思うが、評者は肩の力を抜いて書かれた本書に著者の本領を見出す者である。
【それはさておき】
 鉄道作家というか、乗物作家というか、この方面の著作で有名なのは、古くは内田百間(驚いたことに、マイクロソフト社のワード辞書には、門がまえの中に月を書く内田百間の字がないので、やむを得ず「間」の字で代用しておく。泉下の内田さん、ごめんなさい)の「阿房列車」(旺文社文庫)、現代では阿川弘之氏の「南蛮阿房列車」(新潮文庫)などがあるが、大のおとながいまさら汽車ポッポでもあるまいと遠慮されるのか、有名作家でまじめに鉄道に取り組む人は案外少ないのである。この点からも、宮脇俊三の鉄道紀行記は質量ともに充実していて、大人になっても汽車ポッポの大好きな評者のような人間を楽しませてくれること限りなし、なのである。□