論評・羅府新報「磁針」コラム・アラセブって?【090205掲載原稿】
題名・「アラセブ」って?
* * * * *
ご同輩。「古稀」前後数年の年齢層で、いきいきと充実した毎日を送っておられるであろうところのご同輩。そのあなたもわたしもが「アラセブ」なんだそうだ。アラセブってなんだ?
昨年十二月二四日付の朝日新聞・国際版に載った文芸評論家・斎藤美奈子女史の「文芸時評」によると、雑誌「すばる」がアラセブの特集をしていて、「アラセブ」とは「アラウンド70」つまり70歳前後の人たちを指すそうだ。記事によれば、この人たちは「多感な時期に終戦を迎え、激動の昭和を、混迷の平成をぶれることなく生きてきた」。そして「アラセブたちの知識とパワーの源は何なのか?」と問題提起を行い「圧倒的な教養、今なお旺盛な創作意欲を持つ」とも書いてある。なるほど日本から太平洋を隔てて遠く離れている南加の当地においてさえも、斎藤女史が描写したとおりのアラセブを、ここかしこで見ることができる。当地のアラセブたちは、本紙・羅府新報でも、情報誌・TVファンでも、同人誌・新植林や平成などでも、圧倒的な健筆を振るっている人を何人も挙げることができる。
それにしても日本の略語は少し行き過ぎていないか?「アラ」がアラウンド、「セブ」がセブンティの略であるなどとは、過半数の日本国民が認識しているとは言えないだろうし、ま、仲間うちの符牒のようなものだろう。この種の符牒が無名とはいえない雑誌や新聞の記事を賑わすということは、日本の社会が壊れていることの証拠ではないだろうか?言ってみれば仲間が集って、なんでもかんでも単語を魚河岸の符牒なみに短絡させてこしらえて「アラセブ」なんて言って、「アラマア」とどう違うか何%の日本人が識別できると言うのか。それで仲間意識を高揚させて面白がって読者を増やそうという、なんともミエミエな術(て)だなあ。下品だなあ。ついていきたくないなあ。やめてもらいたいなあ。平成21年の現在、年齢からいえば確かにアラセブの一員たる当方は、いまから10年経ったとき、符牒でなんと呼ばれるのか興味津々なのである。 え?10年後におまえはまだこの世に居る気かって?□
* * * * *