tokyokidの書評・論評・日記

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ルポ・有料老人ホーム体験宿泊記(その15・最終回)

tokyokid2008-12-29

15.   わたしなりの結論
 以下筆者の結論を書く。
 前述の意見を読んで、気がついたことがある。それは(当り前であるが)老後を養うにはカネが必要であるということ、もうひとつは当方がカネを払ってたとえ有料でも「いい老人ホーム」を探すのは至難の技であるということだ。
 決定打として言えることは、人間誰しも他人にサービスをさせれば当然対価を払わねばならない。つまり老人ホームで提供されるサービスを買うには(金額の多寡があるとはいえ)カネが要るのである。だが自分で生活しているぶんには、生活に必要なだけのカネがあればよい。してみると、できるだけ長い間自分で動き回り、他人の世話にならず、自立して生活するのが安上がりでかつ自分も(行きたいときに行きたいところに行けて「自由度」が高いのであるから)満足度が高い生活を送ることができるだろう。してみれば、自分で動ける間は「アパート」なり「マンション」なり「独立家屋」なりの自宅で生活して、配偶者と死別してどうにもこうにも自分だけでは生活ができなくなったときに初めて老人ホームに入るのがいちばん望ましいカタチではないだろうか。つまりステップとしては次の段階を踏めばいいわけだ。
1. 夫婦二人が揃って健康なうちは「自宅で」過す。
2. 片方が病気になったら、残ったほうが「自宅で」看病する。
3. 不幸にして片方が死去した場合、残ったほうが健康であるうちは「自宅で」過す。
4. 残ったほうが独立して日常生活を営む上での健康に不安がでてきた場合でも、なるべくギリギリまで介護保険を使って「自宅で」過す。
5. 毎日の食卓を自分で準備できなくなったり、自力では歩けなくなったり、他人の手を借りないと日常生活を独立して営めなくなったとき、初めて(有料であろうと無料であろうと)老人ホームその他の施設に入り、他人の手を借りる代りに対価を支払う生活に入る。このときの注意事項は、その施設で死ぬまで(自分で思うとおりの)日常生活を送ることができることを最優先事項として選択する。
 つまり「PPK運動」を実践してなるべく長い期間一般社会で過す時間を長くし、身体が動かなくなった時点で「カネのかかる」他人さまの手助けが期待できる(有料老人ホームなどの)施設に入ることを考える、ということだろう。「PPK」は「ピンピンコロリ」の略で、死ぬ前日までピンピンしていることを目指す運動を指す。そのためにはよく運動し、適切な食生活を送って日常健康に過すことがなにより大切なことになる。この点に関して、私の大切な友人のひとりが広島で「PPK運動」を広める活動をしているのでご紹介しておく。そのホームページは www.tanaka-musoan.com/ であるので、ぜひ覗いてみていただきたい。
 この種のことは、事態が進むにつれて関連の情報が集まってくるものだ。この連載中に知り得た情報をもうひとつだけ付け加えておこう。それは国交省管轄の「高齢者専用賃貸住宅高専賃)」のことである。本来福祉行政を管轄する「厚労省」ではなく「国交省」が担当するという理屈は、われわれ素人にはわかりにくいものだが、倒産や売却が起きて、入居者が路頭に迷うことさえなければ、利用者にとっては所轄官庁や経営主体がどこであっても大差はないのも事実だ。最近の民放テレビ番組で見たかぎりでは、高専賃は高齢者専用の賃貸し住宅であるから、最初の入居一時金が15万円ほどと安く、あと月々の支払も食費を含めて13〜20万円ほどと手頃なのが魅力だ。つまりいままで紹介してきた「有料老人ホーム」にくらべて、住宅の賃貸しであるから、入居費用が格安であることが入居者にとっては負担が少ない。ただし老後必要となる「介護サービス」については、他の形式の老人ホームなどと比較検討することはもちろん、基本的な情報を集めてよくよく検討せねばならない。「高専賃」はすでに全国で1千棟ほど展開しているそうだが、ただし経営母体が施設によってまちまちであるので、その点もよく調査せねばならない。番組で紹介していたのは、ある歯科医グループが経営する高専賃だったが、ここは入居者に定期的に「歯科のクリーニングや診療サービス」を提供する、というユニークな試みであった。経営者へのインタビューによると、一般に経営が楽ではないといわれる介護事業でも、経営のやり方しだいで事業として成立させるのは可能、ということであった。たまたまテレビ番組を見ただけだが、この「高専賃」も老後の生活を送る選択肢の重要なひとつとして要調査項目であろう。追記しておく。
 以上で今回の「有料老人ホーム体験宿泊記」を終るが、ひとことお断りしておきたいことは、本稿は有料老人ホームを中心に老後を過すことのできる施設に関して考察したもので、その人が必要な経済的な背景については一切触れなかった。実際にはここが一番肝腎なところであるが、経済問題は別問題、という態度でこのルポを書いたことをご了承願いたい。
 それからどこでも触れなかったことで、日米の差をつくづく感じる分野がある。それは「ボランティア」活動だ。「慈善=無償の行為」を普遍性のある当然の行為として認識するたとえばアメリカでは、そこに住む日本人を含めて「ボランティア」活動が盛んである。アメリカの老人ホームでは、専任のボランティア・マネージャーを配置しているところも多い。前述の日系高齢者引退ホーム・KRHがその一例である。地理的条件からしても(広いので)ちょっとしたことでも助け合うほうが先、という事情もある。すべて無料、手弁当が建前である。それに反して日本のボランティア活動はまだまだ社会での同意が得られていない。無料なのか有料なのか、時間や労働内容などボランティア活動提供者側の選択の自由さ、事故があった場合の取扱い、もっとも大事なのはボランテイァ活動の定義の問題であろう。このようなボランティア活動に関する細目の社会通念がまだ出来上がっていない日本では、当然ボランティア活動は(少なくとも欧米諸国に比べて)低調である。しかし高齢者を相手にする「老人ホーム」では「ボランティア活動」は必要であり重要である。なくてはならないものと言える。今回の「有料老人ホーム」の体験宿泊では、このボランティア活動に関しては、例外的なただ一個所「サンラポール南房総」を除いては、どこでも話題にならなかった。ここではボランティア活動の機会があり、また特定の必要とされる技術を持っている人ならば附属の「ロマンの森共和国」でアルバイトをすることも可能であるとのこと。でも一般に「ボランティア活動」に関する関心が「老人ホーム」の側で希薄であったことは、まことに残念なことである。入居者(=高齢者)の生活を豊かにするために、アメリカではボランティア活動が欠かせない。この点一日も早く「ボランティア活動」に関する国民的に合意された社会通念の確立を望みたい。
 以上を読んでいただいて、読者諸賢はどのようにお考えだろうか。このブログに書き込みでもしていただければ幸甚である。それではこれでこのルポを終る。□