tokyokidの書評・論評・日記

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書評・ジャズ

tokyokid2007-07-18

書評・★ジャズ(油井正一著)新潮文庫

【あらすじ】
 副題に「ベスト・レコード・コレクション」とある。著者の油井正一は、著名なジャズ評論家として知られた。本質的にこの本は「ジャズ・レコードのカタログ」である。著者からみて名演奏のジャズ・レコードがカタログ方式で紹介される。まず年代別に1900年から1985年までの年代別、それに20人のジャズ・プレイヤーの個人別見開き2頁にわたる紹介、間に著名人のジャズに関してのエッセイをちりばめてある。これに著者の「まえがき」と「あとがき」があり、人生の達人が書いたジャズの楽しみ方のガイドブックとしても使える。巻末の「アーティスト別索引」は著者の親切。ジャズ好きには見逃せない一冊といえる。
【読みどころ】
 ジャズは演奏だ、と言われる。もちろんジャズの名曲もたくさんあるのだが、ジャズではクラシック音楽と違って「即興」演奏を大切にする。クラシック畑では考えられないことだが、過去の有名なジャズ演奏家のなかには、楽譜が読めなかった人もいたらしい。クラシック音楽ではひとつの曲をある楽団が演奏しても、解釈の違いや技術の上手・下手はあるにしても、作曲家の原曲に忠実なのが特徴なのだが、ジャズでは、どんな曲であっても、演奏家が自分の解釈で自由自在に演奏を変えてしまう。同じ演奏家による同じ曲でも、二度と同じ演奏ができることはないから、定評のある演奏家や楽団といえども、その日の調子によっていい演奏もそれほどでもない演奏も交じることになる。そこがクラシックにはない面白さなのである。言い方を変えれば、クラシックの場合は作曲家が楽想を得て作曲するが、ジャズの場合は、演奏家が楽想を発揮しながらもとの曲を自分なりに解釈して演奏してみせるのである。だから同じ演奏家が同じ曲を演奏しても、スタジオで録音したか、コンサートで演奏したか、あるいはライブで客に乗せられながら演奏したか、そのときどきによって演奏の出来具合が違ってくる。そこでその演奏家の、どの演奏・録音がいいかが問題となるのである。本書は、その「いい演奏」が納められているレコードのカタログなのである。
【ひとこと】
 音楽の三要素は「リズム」「メロディ」「ハーモニー」である。これを大きく崩してしまうと、まことに聞きにくい音楽になってしまう。この三要素のバランスをうまく取ることも、作曲家と演奏家を含めて、ジャズの音楽家に課せられた大事な仕事なのである。ジャズは19世紀後半のアメリカで生まれた。南北戦争(1861〜65)のあと、軍から放出された楽器を得た黒人が演奏したのが始まりともいわれる。いまは英語で「Jazz」と綴るが、当時は「Jass」と綴ったこともあった。アメリカで生まれた音楽だけに、最初から自由奔放な音楽であったのだろう。いまのジャズの原型からして即興を取り入れた大胆な演奏ぶりであった。ジャズもいろいろな種類に分類されるが、評者の興味は19世紀から20世紀の半ば頃まで全盛を誇ったディキシーランド・ジャズに向く。別名「ハッピー・ミュージック」と呼ばれるほど楽しい音楽だからである。以前は当地・南加のディズニーランドでも、客寄せで演奏していたが、いまもやっているかどうか。ディキシーランド・ジャズから発展して、スイング・ジャズ、モダン・ジャズとつながっていくわけだが、いまでは最後の「モダン・ジャズ」といえどもモダンなのは名前だけで、クラシック・ジャズに分類されるようになってしまった。そのあとのジャズは、もう新種の音楽というべきで、ジャズではない、というのが評者の評価である。
【それはさておき】
 戦後間もなく、まだ評者が学生だったころ、具体的には昭和30年から35年(1955〜1960)にかけて、世の中を音楽喫茶が風靡した。喫茶店でありながら、レコードを当時は個人で所有するのがむずかしかった高価な理想に近い音楽再生装置(いわゆるハイファイ)を使って再生演奏をして、客に音楽を鑑賞させてくれる店である。クラシックの世界ではいわゆる「名曲喫茶」店が雨後のタケノコのごとく叢生した。ジャズの世界でも、その種の喫茶店が数少ないながらもあることはあった。六大学野球の応援ブラスバンドのメンバーなどは、当時例外なくジャズ好きが集まっていたから、いっしょに一杯のコーヒーでねばりにねばって、3時間も5時間も、そのようなジャズ喫茶に通って好きなジャズに聞き惚れ、ジャズ論議に時の経つのを忘れたものだった。一例を挙げれば、当時の東京・渋谷の道玄坂からちょっと映画街のほうにあがったところにあった「スイング」という喫茶店ディキシーランドとスイング・ジャズのレコードをしこたま収集していて、われわれ学生のリクエストによって、大ボリュームの音量で聞かせてくれた。この店で、ディキシーランドの巨匠といわれるキッド・オリイ、ジョージ・ルイス、シドニー・ベッシェ、エディー・コンドン、ボビイ・ハケット、アル・ハート、ピート・ファンティン、ターク・マーフィーなどの名前と演奏(曲ではない)を覚えたものだった。だが本書には、ディキシーランドのみならずジャズ界の巨人として世界的に有名だったルイ・アームストロングを除いて、これらの腕達者は紹介されていない。著者の「油井正一」や、やはりジャズ評論家だった「いソノてルヲ」などの名前で思い出されるのが、いまひとくちに「ジャズ」と呼ばれ一括されて語られる音楽で、その昔はさらに細かく分類されてそれぞれにファンが付き、人口に膾炙していた頃のことなのである。
【蛇足1】
 評者の本「書評」読者諸賢のなかにも、ジャズは面白そうだから聴いてみようか、とおっしゃる向きもあるかも知れないので、周知のことながら以下蛇足を付け加える。ジャズにはピアノの弾き語りというジャンルがあって、聴いているとこれがなんとも楽しいのである。その昔、ピアノ弾き語りの名手に「ファッツ・ウォーラー」がいた。1904年生れ、1943年没だから、相当古い人だ。この人のスキャットを交えた弾き語りは、英語がわかってもわからなくても、一見の、ではなく、一聴の価値がある。この人ももちろん名曲をたくさん演奏しているが、なかでも「Yacht Club Swing」は、絶品ものだ。この人のCDは、いまでも丹念に探せば充分に見つかるはずだ。このジャンルの演奏家としては、ジェリー・ロール・モートンアール・ハインズ、テディ・ウイルスン、オスカー・ピーターソンなどの名手が顔をそろえていた分野でもある。ぜひいちど聴いてみてほしい。それにしても、芸名とはいえ自分の名前を「ジェリー・ロール・モートン」とは、ふざけているねえ。これは「ゼリーのついたロールパン・モートン」という意味なのだ。
【蛇足2】
 余談ながら、渋谷・道玄坂からちょっと入ったところにあった「スイング」の隣に、当時もいまも「ムルギー・カレー」の店がある。少なくとも評者が最後に渋谷を訪れた二年ほど前まではあった。ここのインド風カレーを「玉入り(玉子つき)」で食ってから席を移して、隣のスイングでコーヒーを飲みながらディキシーランドを聴く、というのが、当時学生であったわれわれの最上の楽しみであり、最大の贅沢であった。その頃は、戦後しばらく経っていたときではあったが、まだまだ進駐軍(米軍)のジープが東京の街を我が物顔に走り回っていた頃の話である。□