tokyokidの書評・論評・日記

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書評・大相撲ちょっといい話

tokyokid2007-07-14

書評・★大相撲ちょっといい話(小坂秀二著)文春文庫

【あらすじ】
 戦前・戦中から平成に至るまでの、大相撲に登場する力士について、放送中継する立場のアナウンサーからみた「いい話」を書いた本。ここにでてくる力士名を、目次からだけでも抜書きすれば、栃木山玉錦、幡瀬川、天龍、東富士、神風、玉の海双葉山、安芸の海、栃錦若乃花栃ノ海、栃光、若羽黒、北の洋、信夫山、長谷川、北の富士玉の海柏戸隆の里千代の富士、加えて昭和末期から平成初期の日本人から外国人力士の名が並ぶ。
【読みどころ】
 本書の著者、小坂秀二は異色の経歴の持主であった。歯科医学校を卒業して軍医として従軍、相撲が好きだったところから戦後は一転してNHKのアナウンサーになった人であった。のち民放のTBSに移籍、春秋園事件の当事者で解説者に転じた元関脇の天龍と組んで、相撲の実況放送を担当した。その「相撲放送中継担当アナウンサー」の書いた本だから、近間で見るところの、ふつうの観客が触れることのない力士の逸話がたくさん集められていて、どこを読んでも楽しい本に仕上がっている。それも戦前から平成初期までの力士が対象だから、ちょっとこたえられない内容なのである。なんでも昔がいいというわけではないが、不世出の横綱といわれた双葉山の逸話など、横綱を張るほどの(昔の)人は、人品が卑しくなかったのだと納得させられる話が多い。内容は平成の現代までカバーしているから、高見山に始まる外国人力士にも筆が及ぶ。ただしモンゴルなどの出身力士の登場は、そのあとのことである。
【ひとこと】
 大相撲は日本の国技である。野球やサッカーそのほか、最近では数多くのスポーツが人気となり、人気からいえば相撲には昔日のおもかげはない。戦前は、庶民にとっては村の鎮守の祭と大相撲くらいしか興行による娯楽はなかったわけだから、その人気は大したものであった。とりわけ戦時中は、野球やサッカー・ラグビーなどは「敵性スポーツ」として、白い目で見られることが多かったから、なおさらであった。戦後すべてが自由になり、それまでは「敵性」であったスポーツも大いに人気を集めることになった。もともと日本人は「新しもの好き」のところがあり、すでに明治やそれ以前からもフットボールや野球の試合が国内で、日本人同士でも行われていたらしい。戦後しばらくの間は、戦中の双葉山羽黒山の時代から、栃錦若乃花の時代に移り、さらに下って大鵬柏戸の時代くらいまでは、人気の上下はあるものの、相撲人気はそれなりに続いていた、というべきだろう。ことに若乃花貴乃花の「若貴兄弟」が登場してからは、若い人も引き込んで大した相撲人気であった。このあと外国人力士が最初はハワイを中心としたアメリカ人から増えてきて、最近はモンゴルやカザフ・ウクライナ地方から、さらには欧州に至る広い地域から「外国人力士」が参加することになった。もともと神事から始まった相撲につきものの礼儀や横綱の威厳や、力士として「心・技・体」を磨くという本来の趣旨が次第に忘れ去られ、世の中の趨勢が変ったこともあって「勝てばいい」という風潮に変った。女性の大臣や知事が、土俵に上がって力士に賞状を直接手渡したいという申し入れが、相撲協会に対して再三なされたのもその表れであるが、いってみれば神社の拝殿に上がって冒涜行為をするのと同じ要求が女性の公人から出てくること自体、世の中の変化を物語る。昔は高野山にも比叡山にも女性は立入りを禁止されていたのであり、それは古代の「女性は生理があるから神の前には出ない」という宗教上の教義によるものであった。それを男女同権とか民主主義と混同して、宗教を冒涜するような要求を出して、しかもその自覚がないというのは、日本人の礼儀もどこかに吹き飛んでしまったというべきか。思想でも行動でも、新しければなんでもいい、というものではなかろう。今年・二〇〇七年名古屋場所では、ついに新弟子検査の応募者がひとりもいなくなったと報道された。「勝てばいい」外国人集団に上位をことごとく奪われて、いまどきの(外国人)横綱は、勝負の死に体である相手方の力士を、さらに追い詰めてケガをさせるところまできた。巡業の稽古でも、横綱が平幕を土俵に叩きつけて怪我をさせる事態も報道された。すでに日本の国技・大相撲は、礼節を失ってしまい、単に「勝てばいい」スポーツに成り下がりつつある。
【それはさておき】
 評者は(戦前の)学齢前に字を覚えるとき、まず漢字を覚え、それからひらがな・カタカナを覚えていった。どうしてそうなったかというと、当時ラジオで大相撲の実況放送を聞き、当日の新聞朝刊に載る取組表をにらんで、負けた力士名をエンピツで消し込む作業をする必要上、まず力士名が読めなければならなかったからだ。いまは昔の、懐かしい思い出である。□