tokyokidの書評・論評・日記

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論評・くるま・くるまとは

tokyokid2010-01-13

「くるま」とは
 よく知られているように、ワットの蒸気機関のほうが、ガソリン機関よりも百年以上古い歴史を持っている。ワットの蒸気機関が実用に入って産業革命が成就されたということは、たしか中学校で習ったが、蒸気機関が完成をみたのは一七六九年のことといわれている。もちろん蒸気機関を装備した自動車はいくつか開発され、そのうちのあるものは博物館に陳列されている。評者が一九七七年ごろ英国のロンドン郊外に駐在していたとき、クラシックカーの大会があって、公道を古いくるまが列を作って行進した。その中に「蒸気機関自動車」が、当時はまだタイヤが発明されていなかったと見えて、鉄のわだちをガラガラいわせながらパレードに参加していた。英国では、いまだに蒸気機関付き自動車を動かせる状態で保存していたのだ。見た目には大きな煙突が立って、鉄道の蒸気機関車によく似た構造をしていた。もちろん車体寸法はもっと小さくて、いまのトラックなみであった。現在では自動車の原動力はガソリン機関が当り前になっているが、この蒸気機関はあったけれどガソリン機関はまだ開発されていなかった約百年間は、当然世の中には蒸気機関を装備した自動車しかなかった。ダイムラーがガソリン機関を開発したのは一八八五年といわれており、のちにダイムラーは自分で自動車メーカーのダイムラー社を興し、その後この会社はいまのダイムラー・ベンツ社となって、いまでも世界の最高級車として知られるメルセデス・ベンツを製造販売している。
 蒸気機関は大きな火室とボイラーを持つが、ガソリン機関はこれを小さなシリンダーの中にガソリンと空気を入れ、火をつけて爆発させる構造となっている。シリンダーのなかでガソリンを燃やすから「内燃機関」と呼ばれる。内燃機関としては、フランスのルノアールが一八六〇年に2サイクルの可燃ガスと空気による「ガス」機関を作ったのが最初といわれ、それから四半世紀経ってダイムラーが4サイクルのガソリン機関を開発したのだそうだ。
 自動車は「馬なし馬車」を標榜して開発が進められた。たしかに生物の馬と、機械とでは、機能もメンテナンスも格段に異なる。馬のように餌や生活上の心配をしなくてもいい機械のほうが、故障さえしなければ生物の馬に使い勝手で勝ることは疑いがない。そこで原動力としてのガソリン機関はこのように誕生したが、これを自動車に載せて走らせるためには、動力の伝達機構、すなわち機関で作った力をタイヤに伝え、自動車を動かす仕組みを開発しなければならず、また人や貨物を乗せるためには、それなりの構造を持った車体も開発せねばならず、最初から現在に至るまで、自動車の開発は苦労の連続であったようだ。
 ガソリン機関が開発されて百二十年あまり、自動車は現在のような形になった。生産も世界各国で行われるようになった。かつて自動車は、高価で庶民には手の届かない商品と思われていたが、いまでは家電製品なみに普及してきた。それにつれて、地球の有限資源である石油の底がみえてきて、また石油を燃やすことによる公害も問題となって、自動車はかつての輝きを失いつつあるように見える。評者は幸いにして、自動車の開発・普及期から完成期というか、現在の問題が顕在化するまでの過程を親しく自分の問題としても触れなければならない立場にあった。部品の立場から、自動車にも深い係わりがあったからである。その自動車について語らせてもらおう。
* この項は「世界の自動車」奥村正二著・岩波新書を参照した。
(写真は1982年型 GMオールズモビル オーナーズマニュアル表紙)