tokyokidの書評・論評・日記

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書評・ある通商国家の興亡

tokyokid2007-06-26

書評・★ある通商国家の興亡(森本哲郎著)PHP研究所

【あらすじ】
 本書には副題として「カルタゴの遺書」とある。いまから2千数百年ほど前の北アフリカの、ちょうど現在のチュニジアのあたりに「カルタゴ」という国があった。この国は当時「通商国家」として有名であった。つまりカルタゴは地中海貿易で大いに稼いでいた国であったのだ。このカルタゴと、地中海を隔てて対岸のヨーロッパ大陸にあった当時の大国・ローマの歴史を、元朝日新聞記者であり、のち東京女子大学比較文化論を担当した教授としても知られる森本哲郎氏が「当時のカルタゴと現在経済大国として知られる日本の置かれている状況はよく似ている」として、得意の比較文化論的に当時のカルタゴとローマを中心とした地中海沿岸の歴史を回顧した本。森本哲郎氏は、テレビキャスターの森本毅郎氏の実兄。
【読みどころ】
 カルタゴの国を知らない人でも、第二次ポエニ戦争として知られるカルタゴとローマ間の戦争で、カルタゴ軍の総帥としてはるばる北アフリカから象を連れてヨーロッパのアルプスを越えて、当時の大国・ローマに攻め入って大勝利を得た名将・ハンニバルの名前は聞いたことがある、という人は多いのではないか。当時カルタゴは通商においても海軍力においても地中海の雄として知られた存在であった。当時の大国・ローマの目に、国そのものは小さくても通商を通じて経済大国に成り上がったカルタゴがどのように映ったか。そして大艦隊つまり海軍力に定評のあったカルタゴと、歩兵戦つまり陸軍力に定評のあったローマの間では、どのように交渉が推移し、戦端が開かれ、どのように講和交渉がなされ、講和条件が提示され、世の中が移り変わってあらためて開戦などの新展開が見られ、またぞろその繰り返しとなったか、そして最後にローマがカルタゴに対して取った処置とはどんなものだったか。周囲の有力な国々の帰趨も交えながら、史実を著者自身が「実際に象を連れてアルプスを越えてみた」経験と、現在の経済大国・日本が置かれた状況を、著者の比較文化論が解明する。地理的にいえば、長靴型のイタリア半島にローマはあり、そのつま先にある「石」に当る「シチリア島」と、わずかな海面を隔てて存在したいまのチュニス付近にカルタゴはあった。
【ひとこと】
 この本を読むと、地中海は人類の文化・文明のゆりかごであり、人類はたぶんアフリカで発生したあと、地中海をめぐって発展してきたのではないかという仮説が、強力な説得力を持って迫ってくる。本書にでてくるローマ人、ギリシャ人を始めとしてフェニキア人、ヘブライ人、アッシリア人、アラビア人、バビロニア人など地中海を巡る豊富な人種と、いまに伝わるギリシャローマ神話などのかずかずを織りなして、物語は「ある通商国家(=カルタゴ)の興亡」に焦点を合わせて進められる。それはそれとして、著者は往時のカルタゴと現在の日本が置かれている状況にも鋭い目を注ぎ、常にその比較を怠っていない。たとえば、第二次ポエニ戦争のさなかに、ハンニバルが2千頭の牛の角につけた松明に火をつけて敵陣に追い込み、大戦果を上げた「カリクラ峠」の火牛戦術というのがある。それから千四百年あとの日本では、平氏と対峙した木曽義仲が「倶利伽羅峠」において同じように牛の角の松明に火をつけて平氏の陣に追い込み、大勝利を挙げたところの、同じような名前の「カリクラ峠」と「クリカラ峠」の対比を説明してみせる。このような歴史の偶然も抜け目なく紹介しながら、著者は最終的な闘いに敗れたハンニバルのその後と、戦敗国カルタゴに対する戦勝国ローマの仕置きと、国としてのカルタゴに最終的に引導を渡す役割を果たしたローマの元老院・カトーの有名な「カルタゴは滅ぼされねばならぬ」の一言が、この世からカルタゴを抹殺した顛末を説く。カトーの決心を固めさせたのは、自国よりはるかに進歩した農業技術を持ったカルタゴで栽培されたみごとな「イチジク」に触発されてのことだったという。いま世界第二の経済大国ではあるが、先の大戦の勝者・米国の核の傘のもとに泰平の世を謳歌する「日本」も、せまいが地中海とも似た国際環境を作り出す日本海を隔てて領土問題を抱えるロシアがあり、中国があり、朝鮮諸国がある。いつの日か、これらの国がローマのひそみに倣って、資源もないのに技術とやる気だけで世界第二の経済大国にのし上がった日本を、かつてのカルタゴと同じ立場に追い込もうと企むことはないか、果たしてこれは単なる「杞憂」として無策で済ませられる問題なのかどうか、日本人にとってはよくよく考えて必要な措置を取るべき命題であろう。せっかく開発した技術だけでも、タダ取りされない工夫をしないでいいものか。こうした侵略は予告なしにある日突然にくる。なんらかの事情でアメリカが手を引いたあとに、日本海の向かい側から日本全部を手に入れようとする手合いが現れないか、ローマがカルタゴの人と財産を根こそぎ殲滅したあとでそうしたように、ロケットと原爆で日本を焼け野原にしたあとで、焼け跡に塩を撒き込まれないで済む方策を、平和ないまから考えておいたほうがよくはないのか、本書はつくづくそのことを読者に考えさせる。評者はかつて成田空港の店で、小さな西瓜ほどもある売り物のみごとなリンゴを見たことがある。もう十年ほどの昔に一個3千円ということだったが、アメリカでこの大きさのリンゴを売っているところはない。本書を読み返して、カルタゴのイチジクと成田のリンゴを同時に思い浮かべることになった。
【それはさておき】
 それにしても人間という愚かな生き物は、同じ過ちを何回も繰り返すものだと、改めて驚かざるを得ない。歴史という最上の教科書が厳として存在するにも拘らず、である。そのことをかつて存在したカルタゴと、いま存在する日本という「似通った通商国家」の置かれた状況を比較してくれたのが本書なのである。蛇足ながら、評者が底本とした本書は一九八九年六月一日発行の初版本(単行本)であるが、これだけの示唆に富む内容の本が(PHP文庫を含めて)現在絶版になっていることは残念だ。惜しむべきことである。□