tokyokidの書評・論評・日記

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書評・シリーズ福祉に生きる2

tokyokid2007-08-13

書評・★シリーズ福祉に生きる2・草間八十雄(安岡憲雄著)大空社

【あらすじ】
 本書は、とくに最近論議されたり参入されたりする人の多くなった社会の一分野「福祉」について、その先駆者・先輩に当る人々を、個人ごとに伝記風にまとめたシリーズ本である。第一回に配本された20冊のなかには、本書2で語られる草間八十雄のほかに、山高しげり、アーノルド・トインビー、渋沢栄一、ゼノ神父らの個人に交じって、シャルトル聖パウロ修道女会の団体名も見える。明治維新以後の近代化日本にあって、社会のひずみのなかで絶望的な貧窮の生活状況のもとに生きなければならなかった多くの人々を助けよう・支えようとしたこれらの「福祉事業」の先駆者の名がみえる。現在社会福祉に関係する人が、日本の福祉の事跡を辿る場合の必読書、といわれるところに、この「シリーズ福祉に生きる」が存在する。
【読みどころ】
 本書によると、草間八十雄は長野県松本市で明治八年(一八七五)、草間泰蔵・いくの長男として生まれた。八歳のときに、いまも松本市に「重要文化財」として当時の校舎が残る「開智学校」に学んだ。この草間八十雄が長ずるに及んで、福祉の現場にみずから踏み込んでいくさまが、本書で詳しく語られる。もともと草間八十雄は、巡査、新聞記者の経歴を経て、職業柄接触を余儀なくされた当時の「細民」つまり生活困窮者の実態に触れて、一念発起してその救済活動にのめり込んでいったと見ることができる。特筆すべきは、自身は単なる個人の身でありながら、当時の役所を巻き込んで福祉の実を挙げていることである。当時の「内務省」が実施した「細民調査」に嘱託として関与し、のちに東京市社会局でおなじく嘱託として調査に当った、などの事跡が記されている。本書の第四章には「浮浪者たちの満州移民」の項があるが、これは当時の国策によって「東京府管内失業労働者にして労働に堪え得る(中略)者に農園を経営して団体的訓練を與へ、将来満蒙移住又は内地独立農民として更正せしめんとするものである」(一四九頁)と記してあるが、このような国策遂行下にあっても、草間八十雄は、国家の救済策にみずから申請することができない「浮浪者」に思いを馳せる。昔から役所は「国民からの申請に基づいて」施策を講じるのであって、理由はともあれその能力のない者は、国家の救済策からも洩れてしまうのである。その弱者を思いやる本書の主人公・草間八十雄こそ、福祉に携わる者の面目躍如というものであろう。
【ひとこと】
 草間八十雄は前述の通り明治八年(一八七五)に生れ、敗戦の翌年・昭和二十一年(一九四六)に不帰の人となった。72歳であった。周知のごとく、維新以来の日本は、欧米列強に「追い付け、追い越せ」と「富国強兵」に励んだのであり、対外戦争も重なって、国の声望は高まった面もあったが、内政面では本書に描かれるような「貧民窟」がはびこり、生活困窮者が増えたのも事実であった。社会一般からみれば、これらの「貧民」は、躍進する社会の足を引張る存在としてしか見えなかったであろう。そこに目を当てて自身の一生をそのために費やして悔いなかった本書の主人公・草間八十雄のような人こそ、当時の社会に必要とされた人だったのではなかろうか。
【それはさておき】
 じつは本書の主人公・草間八十雄は、評者の母親の叔父に当る人である。八十雄の弟で北海道に渡り、いまは地場の名産として有名になった「夕張メロン」を初期に手掛けたと私ども家族内で伝えられる八十雄の弟・貢の名とともに、こうして研究者の筆になる伝記を読むことができて、喜びに堪えない。家に伝わる写真も本書に掲載されており、著者の取材時にすでに物故していた母親がもし生きていたなら、ここには掲載されなかった八十雄の挿話が提供できたかも知れないのが心残りである。□