tokyokidの書評・論評・日記

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書評・エアバスの真実

tokyokid2007-08-27

書評・★エアバスの真実(加藤寛一郎著)講談社

【あらすじ】
 副題に「ボーイングを超えたハイテク操縦」とある。一九九九年初版発行の本であるから、技術革新の早い航空機業界の本としては、二〇〇七年のこんにち、内容が古くなっている点があることは否めない事実である。内容は五章にわかれ、第一章は一九九四年に名古屋空港(現在の小牧空港)で起こった中華航空エアバスA300−600R機の着陸事故と一九九六年福岡空港でのガルーダ・インドネシア航空・DC−10機離陸事故とのふたつの事故を、オートパイロット装置を通じて観察し、比較しながらその変遷を考察した。第二章は著者がエアバス社を訪問するに当ってコックピット搭乗を含んで準備した事項に関しての記述である。第三章は著者にとって最初のエアバス訪問記で、エアバスの設計者など当事者との討論など、実物を前にした体験が語られる。ここで著者は、訪問前にエアバスに関して非常に誤解していたことに気付くのである。第四章は訪問を終って帰国してからの考察で、この項では日本の行政や企業の航空事業が決定的に衰弱し、存続の危機に瀕していることを実感し、問題点を探る。ここは(言うだけムダだろうが)航空機産業の行政や企業に携わる人たちにぜひ読んでもらいたいところだ。第五章は著者の二度目のエアバス訪問で、エアバスに対する考察の総仕上げをしている。
【読みどころ】
 著者は昭和10年(1935)東京生れ。東京大学工学部航空学科を卒業し、川崎重工アメリカ・ボーイング社勤務の経験を持ち、その後東京大学工学部航空学科の助教授、教授を経て本書の出版時には名誉教授を務めていた航空機の専門家(工学博士)である。著書も多数出版されている。本書の功績はなにより日本の航空業界(に限ったことではないが)の関心と利害関係がすべてアメリカを向いており、内容的には少なくともアメリカと同等の技術的水準を保持するヨーロッパの航空業界を無視している事実を明らかにしたところである。公平に考えて、もしこの著者の考察が正しいとするなら(正しくないと証明できる証拠はなにもないわけだが)、単一文化のアメリカと、EUという国も文化も言語も違う国が寄り集まっているEUという国際的組織のなかでの協同作業とを比較をすれば、やはり寄り合い所帯をまとめることのほうが大変な作業であるはずなのだ。エアバスの主契約社は四カ国にまたがり、これはフランスのエアロ・スパシアル、ドイツのダイムラー・ベンツ・エアロスペース・エアバス、イギリスのブリティッシュ・エアロスペースエアバス、スペインのカーサの四社が参加している一大プロジェクトなのである。にもかかわらず、製品としての大型旅客機の設計思想において、欧州のエアバスアメリカのボーイングに優っている、というのが著者の見解なのであり、それは上記の理由から決して間違ったものの見方だということはできないだろう。もしこの観察が当っているならば、日本の官庁も企業も、アメリカを見てアメリカの言うなりになっていれば済むということではないことに、早く気が付かなければならない。
【ひとこと】
 本書の「第四章」は「失速した日本の航空界」という題で「ボーイングの尻尾についてきた日本」「ゼロ戦はもう生まれない」と具体的な例が示される。航空機製造の主管官庁は旧通産省、いまの経済産業省であるが、国際水準を抜く技術や設備を持ちながら、現在製品としての自前の旅客機はひとつもないという事実は、評者のような素人にも奇妙な現象に思える。唯一の例外であったプロペラ機の「YS−11」は六四席、一九六二年に初飛行し、一八二機を生産して一九七三年に生産終了した。このYS−11以来日本では旅客機を生産していない。著者はこうした航空機産業育成の努力が日本では官民ともに不足している事実のほかに、日本の抱える本質的な「知財」に対する無関心ぶりを具体的な事例をもって指摘する。日本の開発した「有用な」技術が(盗用とはいわないまでも)アメリカに無料で渡って、ボーイングがB777の製造に駆使したといわれるCATIAの技術のことだ。本書によれば、CATIAはそれまでの常識を破り、コンピュータを使って、航空機製造業界で初めて「モックアップ」なしに航空機を完成させる技術だという。この技術は自動車のトヨタ社と工作機械のヤマザキマザック社が共同で開発した新技術だったが、当時の通産省はMIT(マサチューセッツ工科大学)を中心とするアメリカからの調査団にこの技術を紹介し、紹介されたトヨタヤマザキマザックは唯々諾々と(多分対価もとらずに)新技術を彼らに公開したというのだ。この技術に基づいて、CATIAは開発されたのだろうという見方を著者は本文中で紹介している。こうした先端技術が日本から流出する例は、巷間伝えられるだけでも枚挙に遑なく、日本人の知財軽視の事実を裏付けている。これは「技術立国」を標榜する日本が将来自分の首を絞めることになることに間違いないと思われるが、なんと日本人はおおらかな国民であることか。
【それはさておき】
 昨年エアバス社は契約していた超ジャンボ機のA380の引渡し時期が遅延することで大きな損害を生じた。その間隙をぬって、ボーイング社が巻き返したことは記憶に新しい。設計面ではいかに進歩していても、生産技術ではまだまだスキがあることを裏書したような事件だった。このあたりは寄り合い所帯の弱味であろう。
戦後日本は、当時の西ドイツと並んで、第二次世界大戦の敗戦国であるにもかかわらず、ときには戦勝国をも凌ぐ経済復興を遂げて、奇跡の復興、といわれた。でも最近の中国やインドなど、従来「発展途上国」として考えられていた大国の最近の経済的躍進ぶりを見ていると、もうそろそろ日本はおカネも知識もタダでばらまくことはやめて、正当に商売は商売として割り切らないと生存を続けられない時代に入ってきたのではないだろうか。国民総生産の10倍を超える国家の借金や、餓死するまで放っておかれる北九州市での「生活保護」制度の実態をみるにつけ、ここで日本は国家としてもパラダイムつまり国家の枠組みを大変更しなければ、このままでは生き残っていかれない国に成り下がってしまうと思われる。評者が「今世紀中に、日本はアメリカまたは中国の属国に成り下がるだろう」と予測するゆえんである。
【蛇足】
 写真版で見られるとおり、この本の表紙は、本に宣伝文句を入れた腰巻を巻くことを前提としたデザインがなされていて、その部分は空白である。本は流通中に腰巻がはがれた場合のことまで考えてデザインされねばならない。この表紙デザインはこの意味で杜撰の見本である。□