tokyokidの書評・論評・日記

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書評・山本五十六(上・下)

tokyokid2007-04-22

書評・★山本五十六(上・下)(阿川弘之著)新潮文庫

【あらすじ】
 山本五十六は、昭和十六年(一九四一)十二月八日、日本がアメリカと開戦した当日の日本海軍・連合艦隊司令長官であった。当時大将で、ほどなく戦死して元帥となり、国葬で見送られた「日本海軍の至宝」といわれ、また「勝負強い」ともいわれた提督でもあった。本書はその「山本五十六元帥」のノンフィクションである。山本は当時の国際関係をつぶさに見ていた海軍首脳のひとりであったから、もともと対米戦争には反対であった。ロンドン軍縮会議への参加など、武官でありながら英米を始めとして外国にも知己が多く、海外旅行などごくごく限られた人のものであった当時にあっては、日本人として例外的に広い国際的視野を持っていた人、ということができる。開戦に反対する海軍トリオ(米内光政、山本五十六、井上成美)の一角を形成した。本書の上巻では若き日の山本五十六から海軍の中枢に登用されるまで、下巻では連合艦隊司令長官に任命されて洋上に出ていき、日米開戦に備えて真珠湾攻撃を企画するところからあとの話、に分かれる。
【読みどころ】
 著者の阿川弘之氏(大正九・一九二〇年生れ)は、当時の法学部、経済学部の卒業予定の大学生から主計中尉として採用する海軍予備学生制度による「急造」海軍士官であったから、大将の山本五十六は著者にとって「雲の上」の存在であったはずだが、この種の伝記を書くに当って、海軍の空気を吸ったことのあるこの人ならではの観察があちこちに見受けられて非常に興味深い。海軍の士官であったということは、当然ながら、著者は海軍兵学校(海軍の幹部将校を育成する学校。いまの防衛大学に当る。陸軍では陸軍士官学校があった)卒業者の動向に詳しく、卒業年次とハンモック・ナンバー(卒業時の成績順位)にも明るかったから、本書の人間関係の著述にも淀みがない。いわば海軍人脈の生き字引が本書を執筆したわけである。山本五十六は明治十七年(一八八四)生れで日露戦争(一九〇四〜五)にも従軍しているから、明治維新で新設された日本海軍の歴史に通暁していた人であったことは間違いない。こうして「主人公」と「書き手」の両方が揃って海軍軍人、それも士官以上という、偶然にしても完璧な組み合せが、名将・山本五十六の栄光と悲劇を上質のノンフィクションに仕立て上げて読者に提供してくれた。
【ひとこと】
 それにしても日本という国は、めったやたらに年功序列にこだわるだけで、硬直した組織しか持てない国であることを本書は(も)実感させてくれる。目標と手段が明確であれば、あとは作業を推進する人間を適材適所で選べばいいと思うのだが、日本の組織の責任者の多くがまず注意を払うことは、自身の保身、つまり責任逃れなのである。もちろんそうでない将軍も(陸軍にさえも)少数ながらいたことはいた。だが硬直思考の持主が、ハンモック・ナンバーが上という理由だけで上官の席に座った場合、有能な部下の腕の振るいどころがないのが日本なのである。これはたとえば、大統領が代われば官僚も大幅に入れ替えが行われて組織が活性化されるアメリカのシステムなどにくらべて、なんと効率の悪い話であることか。話は飛ぶが、前世紀の終わりごろ、橋本元首相の時代に日本は「ビッグバン」と称して、「グローバル・スタンダード(その実アメリカン・スタンダード)」のシステムを国家として取り入れることになった。スタンダード(標準)が変るのであるから、運用するシステムも当然それに合うように作り変えられねばならない。それなのに、それから世紀が変ったいまとなっても、日本はいまだに以前の「ジャパニーズ・スタンダード時代」と変らぬシステムを保持し続け、硬直思考の国である事実は変っていない。悪いことをした官僚がやめることはないし、それを指導した上司がやめることもない。たとえば危機管理ひとつをとってみても、厚生省のエイズ薬害事件を始め、外務省や警察庁やこのほど省に昇格した防衛省の情報漏洩事件、私企業でも三菱自動車事件、雪印乳業事件、不二家事件など、それに国の省庁は言うに及ばず自治体やもうほとんど全部の官庁による裏金事件や明瞭でない予算消化事件などなど、実例は枚挙に遑がない。一方立法府・司法府・行政府が国民に知らせる義務を裏打ちするところの「情報公開」は一向に進んでいない。こういう状態で、いわば相手の土俵で相撲をとっても勝てると人は思うのだろうか。日本人にとっては、国家の戦略など他人事なのだろうか。評者が間違っていればそれに越したことはないが、現実の事態はそのように本来あるべきでない方向に向って動いているように思われてならない。
【それはさておき】
 硬直一方の旧日本陸軍にくらべて、山本五十六に見られるように、旧日本海軍にはフレキシブルなところもあった。その海軍にしても、戦後「二度と思い出したくない」という復員兵を続出したことは、広く知られるところである。海軍にも精神棒があり、折にふれて一部分か大部分かわからないが、将校や下士官は兵を殴り暮らして過ごしたものと見える。いかに上層部が国際派・知性派であっても、すみずみまでその思想が行き渡らなければ、なんの管理責任ぞや、と言わざるを得ない。このあたり、著者の別の本、「海軍こぼれ話・阿川弘之著・光文社文庫」の併読をお勧めする。旧日本海軍の表と裏の顔の差がわかって、興味が倍加すること請合いである。□