tokyokidの書評・論評・日記

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書評・タテ社会の人間関係

tokyokid2007-02-05

書評・★タテ社会の人間関係(中根千枝著)講談社現代新書

【あらすじ】
 本書は一九六六年に執筆され、初版は一九六七年に出版された。英訳本も出されて長期間のベストセラーにもなった。当時東京大学助教授(いまは同大名誉教授)の中根千枝氏が、日本の社会構造を、インド、チベット、中国、イギリス、アメリカなどと比較しながら分析したものである。本文は7章から成り、なにせ40年昔の著作であるだけに、その後の日本社会の変化はめざましく、21世紀の今日では、実際の社会のあり方と論点の間には若干のズレが見られるところがないでもない。しかしその欠点を補って余りあるのは、この本の出版当時流行語ともなった「タテ社会」のキーワードであった。日本社会特有の「親分子分」「ウチの者ヨソの者」意識に裏打ちされた「タテ社会」の構造こそが、わが国の社会構造の特色である、と喝破した著者の主張は、こんにちただいまでも、いささかも揺るぐことはない。これは著者の「タテ社会構造論」が、日本人の社会生活活動の特性を、本質的かつ正確に衝いているからに他ならない。それまで日本社会をこれほど端的にまた明確に、社会構造の理論によって分析した本はなかった。
【読みどころ】
 このような本の共通の傾向として、著者の意図を正しく把握するには、全編を読み通すほかに方法はない。この本は、含蓄に富んだ著者の「まえがき」「あとがき」のほかの本章として、
第1章・序論
第2章・「場」による集団の特性
第3章・「タテ」組織による序列の発達
第4章・「タテ」組織による全体像の構成
第5章・集団の構造的特色
第6章・リーダーと集団の関係
第7章・人と人との関係
の7章から成る。見せ場は「場」の分析、「タテ社会」の分析、「集団構造」の把握から日本人の「人間関係」、ここでは第7章の「人と人との関係」にまとめられているが、これを読んでいちいち著者の議論が腑に落ちる思いがするのは、評者ばかりではあるまい。
【ひとこと】
 日本人の社会構造が「タテ社会」の構造であることを疑う人はいないだろう。実際には一九九〇年ごろ経済バブルがはじけて、日本の雇用制度における年功序列制度は大きく崩壊したが、それでも個人がある特定の「場」に所属し、複数の「場」に所属することは有り得ず、グループは一人のリーダーをいただいて、タテ組織には開放的でありながらヨコ組織には閉鎖的であり、日常生活は序列意識なしでは暮らせない、という著者の指摘は、21世紀のこんにちでも有効な指摘なのである。面白いのは、著者が江戸時代の徳川体制を「士農工商というヨコ方向で全人口の序列を組みながら、一方では封建の各藩によって地方ごとにタテ割りにして実際の政治を取り仕切ったというのは、ことの善悪を別にすれば、「タテ」「ヨコ」両方向を交錯させてまことに巧みな体制であった(第4章・「タテ」組織における全体像の構成)と評価していることで、江戸時代の封建制度に対するまことに正当かつユニークな評価であると言うことができる。いまでいうマトリックス組織論を、何百年か前に、すでに徳川幕府は実践していたのだ、というわけだ。ここには「封建時代はなんでも悪かった」という非論理的で感情的な理論の展開は見られず、学者として当り前の態度と言ってしまえばそれまでだが、著者はまことに公正な研究態度を貫いている、といわねばなるまい。
【それはさておき】
 たとえばあなたがある企業か官庁に勤めるサラリーマンだったとして、それではその組織で頭角を現し、課長、部長、社長(事務次官でもいい)などリーダーに上り詰めるにはどうしたらいいか、という命題を考えるとすれば、本書はまことに有効なテキストブックたり得るであろう。場をつかみ、リーダーの子分となって個人生活を犠牲にしてもその集団に忠勤を励み、年功序列を意識しながらリーダーの補佐からリーダーへの昇進を順次に果たし、それに連れて自分の子分をだんだんに増やし、果ては自分がその集団のリーダーに納まる、という筋書きを書けばいいからだ。だが「個人生活を犠牲にしてまで集団に奉仕するのは、自分の肌に合わない」と感じる人は、この段階でいつの日か自分が属する集団のリーダーに上り詰めるという夢を、きっぱりと捨て去るべきときだろう。この本は、その辺の見極めをつける上で、この上ない参考書なのである。□