tokyokidの書評・論評・日記

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論評・EWJ「四字熟語」コラム・忍之一字

tokyokid2011-09-20

(二〇)「忍之一字」(にんのいちじ)
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 この言葉は、現代でもとくにサラリーマンの間でよく用いられるので、いまさら意味を説明するまでもなかろう。世の中はともかく自分の気に入らないことを忍べば成功疑いなし、という意味。出典は呂本中(官箴)。成功はなにをおいても忍耐することから生まれる。忍耐をすれば、何事もできないことはない。忍の一字が一大事。ならぬ堪忍するが堪忍。「忍の一字は衆妙の門」ともいう。「衆妙」とは多くの人によって証明されたところの優れた道理」のこと。すなわち忍耐することは、すでに証明されたところの優れた道理に沿うことになる、ということだが・・・・・はたして本当だろうか?
 読者諸賢は、大相撲の位で、幕内と幕下の間に「十両」があるのをご存じだろう。「十両」は、大相撲制度が整備されはじめた江戸時代のころ、一家族は年間十両あれば生活できたことから名付けられたと伝えられる。相撲取りの「十両」は、ようやく家族を養えるほどの力士、という意味であった。ついでながら相撲は番付の世界で、位が一枚でも上ならば下は上のいうことにそむくことはできない。「兄弟子」とは「ムリへんにゲンコツと書く」といわれたくらいで、いったん新弟子としてある親方のもとに入門すれば、これはもう「忍之一字」の世界に入ったことを意味した。
 江戸時代は社会が非常に安定していた。俗に「十両盗めば首が飛ぶ」といわれた時代で、犯罪の処罰は非常に厳しいものがあった。当時はもののたとえの首が飛ぶのではなく、十両ものカネを盗めば文字通りひとつしかない犯人の首が胴を離れて空中を飛ぶ、という意味であった。つまり儒教思想に基づく封建時代であり、「君に忠、親に孝」の時代でもあったから、「忍之一字」を実行することも、社会の階層をひとつひとつ登る過程としてはそれなりに意味があったといえる。
 その後も江戸時代の社会制度を色濃く残していた明治時代、いや大正12(一九二三)年の関東大震災のころまでは、それまでの封建時代の慣習や身分制度が社会にはっきりと残っていたから、身分とか年齢など、ひとつ違えば大違い、下は上に絶対に従うことが当たり前の時代であった。
 ひるがえって戦後は民主主義の時代に突入した。身分や年齢に関係なく、仕事上突出した成績を残せば、それは自分の業績として認められる時代となった・・・・・はずだ。だから建前としては、下の者でも業績を上げれば、極端な場合は上役を飛び越して上位に抜擢されることがあってもいい。ところが日本社会の現実は跛行傾向を示し、必ずしも建前どおりにいかない。若い社員がいくら努力しようが発明しようが成績を上げようが、売り上げを上げようが利益を上げようが、組織がそれを認めなけば相変わらず下は下、の世界である。そういう組織に嫌気がさした個人が会社を辞めてしまう実例をわれわれはいやというほど見てきた。組織は昔の封建時代のやり方で運営され、戦後民主主義のもとで教育を受けた世代は実力の世界に生きていると思い込む。こうしていまでも下は有言無言の圧力のもとに「忍之一字」を強いられる構図になっている。「跛行傾向」というゆえんである。だからなかなか「忍之一字」は死語にならない。平成のいまでも、サラリーマンの世界を自分の進路に選んだ者は、江戸時代の大相撲と同じ世界に住んでいると理解したほうが早かろう。
 さて、この「四字熟語」も第二〇回目の今回をもって連載を終わることになりました。長い間のご愛読を感謝します。同じ著者の別のコラムが新たにスタートしますのでご期待ください。□