tokyokidの書評・論評・日記

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書評・血液型人間学

tokyokid2006-11-05

書評・★血液型人間学能見正比古著)サンケイ新聞社出版局

【あらすじ】
 人間には性格や気質があり、その相関関係をひもとくキーとして、つまり物差しとして、著者は血液型に目をつけ、膨大な資料(本書によるとのべ15万人からのアンケート)を収集して解析した結果を示した本。基本的に日本人の血液型にはA型(約4割)、O型(約3割)、B型(約2割)、AB型(約1割)で大部分を占め、そのおおまかな割合も前記カッコ書きのように知られており、それら血液型と性格・気質・人柄などとしてあらわされることの多い「人の上に立つ型」「まじめ人間型」「親切な型」「怒りっぽい型」「弁の立つ型」「人と結びあう型」「人のきげんをとる型」「社会不適応型」などその他多くのパターンとの係わり合いを、著者は統計と実例とで解き明かしてみせる。
【読みどころ】
 戦後もかなり経ってから、血液型による性格分析がにわかに脚光を浴びて人の関心を集めたが、その嚆矢となったのがこの著者であり、この本である。著者は本書の前にすでに血液型に関する本を上梓しているが、見解の集大成としての意味がこの本にある。著者によれば、血液型の発見が明治34年(1901)、大正年間にはすでに血液型と性格との関係が研究され、大学教授などの著作もあり、当時もちょっとしたブームだったという。この本は、自分で自分を作家であると規定し、血液型研究家と呼ばれることを迷惑視する著者が、人間の性格や気質を知る物差しとして血液型に目をつけて、データを集めて、研究してきたものを発表したのだ、という態度をくずしていない。著者は読者の理解に役立つと考えてのことだろうが、じつに豊富な(当時の)有名人の事例を持ち出して解説してみせる。たとえば佐藤栄作田中角栄の首相組から始まって、美空ひばり宮城まり子前田武彦大橋巨泉藤圭子朝丘雪路村山実金田正一木村伊兵衛土門拳梶山季之川上宗薫三遊亭円生三遊亭円楽川上哲治別所毅彦三船敏郎加山雄三など、あらゆる分野から、これでもかと一世を風靡した有名人の血液型のオンパレードなのだ。(ただし、この本が発行されてから30年以上経過してしまったいまとなっては、これらの有名人を知らない世代が多くなってしまったであろうことは推察に難くない。知っている人にはそれなりの理解があるだろうが、知らない人にとっては実感が伴わなくても、それは仕方がない)。本書はその有名人たちと前記の性格・気質・人柄などのパターンを照合してみせる。こうなると、読者は自分の知識のなかだけででも、結局は納得させられてしまうのである。
【ひとこと】
 血液型は人間だけでなく、イヌやサルやカメやカエルや、さらには結核菌や大腸菌などの細菌にもあると著者はいう。たしかに、国民とか、人種とか、皮膚の色とか毛髪の色などのいわゆる「物理的に定質化しにくい」物差しによって人間を分類するよりも、人間の体内の血液型で分類することがもしできるならば、そのほうがはるかに精密に分類できるであろうとは、われわれ素人にも容易に推測されるところである。なかには「血液型と気質は関係がない、だから血液型で性格がわかるはずがない」という人もいる。そのことについていえば、毎年年末になると書店の棚に並ぶ「暦」や「易」なども、中国4千年の歴史に積み重なった経験による統計の大集成と考えられる。「暦」の大安や仏滅、友引や赤口など、また「筮竹」をつかう「易」など、信ずるに値すると思っている人もたくさんいるわけで、なんとなれば、暦も易も、多くの年月の蓄積があり、その結果を信用する人が多いからであろう。要するにこれらは広義の統計学の応用アイテムだと解釈することも可能なのであり、暦の方角や易の日回りを気にする人であれば、当然血液型の内容も気にしてなにもおかしいことはなかろう。暦なり易なりにくらべて、血液型に性格・気質との係わりが認められないと言い切るのは、言い過ぎのような気がする。その点に関して著者はまことに控えめで、彼は本書のなかで「血液型でわかるのは性格のうちの4分の1」(67頁)と、ごく常識的に控えめに見ていたことを付け加えておこう。
【それはさておき】
 本書を一読して理解できることは、いまとなっては故人であるところの著者が、当時出来得る限りの多くの実例(つまりデータ)を集めて、統計的に血液型と性格・気質の関係を解き明かそうと試みたことだ。評者は著者に面識はないのだが、評者のごく親しい友人が、ある職場で著者と机を並べて働いていたことがあり、本書が発表されるずっと前から、著者がこの種の血液型に関するデータを集めていたことを聞き及んでいた。その範囲でいうと、血液型というもうひとつのキーでこの神秘を解き明かそうとした著者の努力は認められるべきだし、血液型という個々の人間にとってこれ以上ないその人の身元同一性(アイデンティティー)をキーとしている以上、その方法が間違っていない限り、信頼性はかなり高いものと考えられる。さらにいえば、じつは若い女性にはどういうものかこの血液型がことのほかの「お気に入り」アイテムであるようで、評者のようなジジイでも、若い女性相手の場合には、血液型の話をしていればけっこうな長丁場を雰囲気よく、うまく保つことができる、という「良い」副作用のおマケもある。ところで、本書はサンケイ新聞出版局から「サンケイ・ドラマ・ブックス35」として発行されたものだが、奥付を見ても発行年月日も版数も記されていない。わずかに「マルC・能見正比古・1973」の記号で、1973年の著作権発生と本書の発行年であろうと推定できるだけだ。まことに不親切な奥付というほかはない。□