tokyokidの書評・論評・日記

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書評・神宮館高島暦

tokyokid2008-01-15

書評・神宮館高島暦・平成十三年版(編著者・平木場泰義・神宮館編集部)・神宮館

【暦とは】
 古来暦と天文は切っても切れない関係にあった。収穫を季節の変化に頼る農耕民族にとっては、なおさらのことであった。有史以来、暦は庶民の年間生活の指針を示すスケジュール表であった。有史以前から、日本は中国から文化・文明を輸入してきたが、そのうちでも特筆すべきは「暦」であったろう。中国に限らず、暦は時の政権担当者、たとえば中国でいえば「皇帝」の権威を示すものであった。つまり「暦」を作成し、民にその使用を強制できるものが、その地の「皇帝」であり得たのであった。手許の旺文社・国語辞典によれば、「暦」とは「一年間の月日・七曜・祝祭日や日月の出入り・月のみちかけ・日食・月食・雑節などを日を追って書いたもの」となっている。だから「暦」は毎年発行される。
【あるべきよう】
 本評の底本にしたのは、平成十三年版(二〇〇一)で、今世紀最初の年の暦だ。もっとも評者が暦を購入したのはこれが初めてであり、現代の暦がどのように作られ、どのように販売されているかについては、知るところはとくにない。ただこの暦の表紙には「日本暦書出版協会推薦」「高島易断所本部編纂」とあり、発行所は「株式会社・神宮館」であり、さらに不思議なことには、巻頭見開きの頁に編著者が「著者・平木場泰義先生」としてその写真が全頁に掲げられているが、その前の頁には、この暦の編纂に関しては奥付に名前の出てこない「高島呑象先生」の写真が同じく全頁のスペースに「正五位勲四等」の文字とともに写真が麗々しく掲げられている。これをみると、暦そのものは高島易断所で作られ、本書に関しては、株式会社・神宮館が販売した、ということであろうか。すると「日本暦書出版協会」は、どのような役割を担っているのだろうか。このあたりの機微は、知る人ぞ知る、門外漢の立ち入ることではないのかも知れない。暦は単なるカレンダーとは異なり、後述するように、森羅万象を対象として占いもするから、一種の信仰と係わりがあるのだろう。
【使ってみれば】 
 この三百頁弱の暦には、森羅万象を明らかにせんとする意気込みが溢れている。まず「平成十三年」は「西暦二〇〇一年」であり、さらに「皇紀二六六一年」と記してある。いまどき「皇紀」とは、アナクロニズムの感を免れ難いが、評者が小学校に入学する前年の昭和十五年(一九四〇)に「紀元二六〇〇年」の国の祝典があり、国民が総動員されて全国で提灯行列や花電車が出たことが思い出される。いまどきの人には想像もつかないことだろう。暦として「国民の祝日」「民俗行事」「各地の日出・日入時刻」「各地気温」などが記載されているのは当然であるが、そのほかに「方位の吉凶」「男女相性」「人相」「手相」「家相学」「姓名学」「十二支」「六十干支」「生まれ月性格と運勢」から「血液型による性格判断」「健康管理」「漢方薬と民間薬の知識」「毎日の株式高低判断」「冠婚葬祭の心得」ほかに至るまで記述してある念の入れようである。暦の部分はともかく、占いの部分を信じるか信じないかはその人の自由であるから、ヒマなときにとっくりとこの暦を隅から隅まで眺めて、森羅万象に思いを馳せるのも一興である。また便利なのは、「毎月の行事」の欄に「行事」のほかに「干支」「旧暦」「六輝」「中段」「廿八宿」「下段」「日の出入」「月の出入」「満潮」「干潮」などのほか、とくに「毎月の旧呼名たとえば睦月、如月・・・」と「旧暦」が書き込まれてあるのが便利だ。たとえば平成十三年一月二四日は「旧暦ならば一月一日の元日」なのだが、その項には「水曜日」「ひのと/ゐ」「六白」「●朔二二時〇七分、旧元日、初地蔵、東京巣鴨とげぬき地蔵尊大祭、島根出雲大社福神祭」「朔」「先勝」「ひらく」「壁」「万(よろず)よし」に太陽と月の出入りの時刻が記してある、という具合なのだ。むかし人々が電灯もろうそくも行灯もなく、日の出とともに起き出して日没とともに寝に就いたころの時代がありありと偲ばれて、非常に興味深い。
【それはさておき】
 信じる、信じないはともかくとして、占いは統計学の応用であることは、歴然たるものがある。大昔の人は、月の満ち欠けが規則正しく繰り返されるのを見て暦を作り出したのだろうし、その暦を元にして、農業の進展具合を管理するだけではなく、森羅万象の動きをあらかじめ知るように、当時の知識・経験を積み重ねて方位や時運の吉凶を占う方式を編み出したのではなかったか。そうしてみると、科学万能の現代でも、暦や占いを一概に迷信だと片付けるのは適当ではないような気がする。□