tokyokidの書評・論評・日記

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書評・看板

tokyokid2006-11-01

書評・★看板(池波正太郎著)新潮文庫「谷中・首ふり坂」所載

【あらすじ】
 時代劇で鳴る著者が描く江戸時代の盗賊・夜兎の角右衛門は、片腕の女乞食・おこうが大金の入った財布を拾い、正直に落し主に返す現場を偶然目撃する。感激した角右衛門は、おこうが食べたことはないがいちどは食べてみたかった、という鰻を坂本二丁目の鮒八で馳走するが・・・。
【読みどころ】
 鮒八の座敷でおこうと角右衛門の会話。「人間、落ちるところへ落ちてしまっても、何かこう、この胸の中に、たよるものがほしいのだねえ」「たよるもの、ねえ・・・」「いえば看板みたいなものさ」(中略)「乞食のかけている看板は、拾い物を返すってことなんですよ」。作者は、架空の盗賊と乞食の会話から江戸の昔の心意気と人情の機微を描き切ってみせる。むかし江戸ッ子の理想は「男はいなせ、女はおきゃん」だった、と思い出す。話の構成の結構と、劇場で芝居を見ているようなスムースな運びは、まさしく池波正太郎の世界だ。この作品は、後年シリーズ化される後述の三部作の原型を提示している作品として、まことに興味深い。登場人物や場所など、江戸時代の江戸はこうでもあったか、と読者を納得させてしまう力強さに満ちている。なによりもまことに見事な呼吸で、読者をぐいぐいと話の筋へ引き込んでいく手腕は、作家なら誰にでもできるというわけのものではなかろう。敬意を込めて、著者が「偉大なストーリー・テラー」と呼ばれるゆえんなのだ。
【ひとこと】
 この作品は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の代表作を始め、江戸の地理と人情を書かせたら右に出るもののないといわれる池波正太郎の佳作小編。この「看板」はこれらの三部作以前に書かれた短編だが、著者は盗賊の夜兎の角右衛門に「盗まれて難儀するものへは、手を出すまじきこと」「盗(つと)めするとき、人を殺傷せぬこと」「女を手ごめせぬこと」の三個条を自分とその一味のものへきびしく課した戒律とするなど、のちの著者時代小説の骨格を見せる。そしてここにも顔を見せる火付盗賊改方長谷川平蔵宣以(のぶため)は実在の人物で、幕府に刑期満了となった罪人の更生施設である江戸・石川島の人足寄せ場の新設を建言して容れられるなど、江戸時代の警吏の中でも異色の存在であった、と著者はいう。長谷川平蔵は実際像としても下情に通じ、人情の機微にも通じ、連続強姦事件の犯人を即刻処刑して被害者の女たちが被害の状況を明るみに出さないですむよう独断で取り計らった、といわれる温情の持ち主であったらしい。著者は史実とフィクションを取り交ぜて「鬼平」ほかのキャラクターを創作するわけだが、そのあたりの強みはこの短編にもキラリと光る。自身は浅草生まれで嘉永二年版の近吾堂・江戸切絵図を駆使し、島田正吾辰巳柳太郎新国劇の座付き作者とも称された劇作家でもあった著者の面目躍如で、他の作品も読みたくなること請け合いの時代もの短編小説。
【それはさておき】
 時代小説で現代を表現する、という手法が実在することを、この小説はわれわれに悟らせてくれる。義理と人情が見えにくくなった現代日本では、看板なら看板をかつぐことで筋を通すこの種の手合いはもう時代遅れなのかも知れない。いや、昔のほうがいい時代だった、と思う人もいるはずだが、さて、読者諸賢の看板とはなんであろう。
(TVファン誌2002年12月号掲載原稿)